【第133回】 技を盗め

合気道は技の反復練習をして、技を覚え、身体をつくっていく。はじめは、師範や指導者から技を習う。合気道での「技」には二つの意味があるようだ。一つは「型」という意味。もう一つは、その「型」を効かすための技(術)である。例えば、「小手返し」という、決まった「型」があるが、これを効かせるためには小指と薬指を締めて親指をはり、相手の手首を直角になるように立て、その手首を梃子にして小手を返す。これは技術の「技」といえよう。

この技をもっと大きな意味で捉えれば「業」にもなる。例えば、小手返しでは手だけでなく、手と直接関係ないと思われる、腹や腰や足遣いとか、息遣い、態勢などなどの「業」が上手く遣えなければ「技」は効かないからである。

合気道ではじめに習う「技」は、「型」を習うことが中心となる。この「型」としての技は、開祖が必要なものを残し、不必要なものを切り捨てた最高のもので、それを先人、先輩が踏み固め継承しているものであるから、これを変える必要はなく、誰もが学んで継承していかなければならない。

「型」としての技を習うのはそう難しくない。誰でも数年で覚えられるし、教えるのもそれほど難しくないだろう。しかし、「型」としての技を効かすための「技」や「業」を身につけるのは容易ではない。何故ならばこれは教えることが難しいからである。

「わざ」(技と業)は言葉ではなかなか説明が難しいし、他人に説明しても、レベルに差があるとなかなか分からないものである。特に今のような、いわば学校形式での稽古で、「わざ」(「技」と「業」)を身につけるのは難しい。

それでは「わざ」を教えられない、習えないならどうすればいいのかというと、「わざ」を盗むことである。

だが、「わざ」を盗むといってもそう簡単ではない。ある程度のレベルにならなければ、目は開いていても何も見えないで、盗むことはできない。また、自分で問題意識を持っていないと、盗めないものである。「わざ」は宇宙の生成化成に即したものであるから、自分で創作するものではない。それを宇宙から既に盗んでいるいろいろなものや人から見つけ出し、自分に取り入れるだけである。それを「わざを盗む」という。

「型」を習う時期は、「真似をする力」、「わざ」の時期からは「盗む力」が上達の要になるようだ。「わざ」を「盗む力」をつけたいものである。合気道だけではなく、他の武道、スポーツ、芸能などからも盗んでいきたいものである。

参考文献 『身体感覚を取り戻す』(斉藤孝 日本放送出版協会)