【第132回】 腰投げ

現代の日本人、特に戦後生まれの日本人の「からだ」は、それ以前の日本人の「からだ」と違ってきているようだ。中でも足腰が弱くなってきているとは、よく指摘される。交通機関が発達したり、エレベーターやエスカレーターが普及し、洋式トイレが使用され、クレーンやトラクターなどの機器類が人力に変わってきたことなどによって、足腰は弱ってしまうことになる。通常の生活をするには、足腰をほとんど駆使しなくてもいい世の中になったということである。もし足腰を強くしたいならば、スポーツ、武術、芸事など日常生活以外で足腰を鍛えなければならない訳である。

合気道の道場稽古でも、「腰投げ」はほとんどやらなくなったようだ。かつては稽古時間中でも「腰投げ」はよくやられたものだし、先輩達は自主稽古で我々を相手に「腰投げ」をよくやっていたものだ。時々大先生に「腰投げ」をやっているのを見つかり大目玉を食ったが、それでも大先生の目を盗んでよくやった。今は道場が混んでいることと、怪我をしないようにという安全第一に徹しているためか、「腰投げ」の稽古をあまりやらなくなったのは寂しいかぎりである。

「腰投げ」は腰を鍛えるにはいい稽古法であるが、腰を鍛える以外にも大事なことが学べる。例えば「十字」の感覚である。合気道の技が決まるときはほとんどの場合十字に決っているものだが、腰投げはその典型的なもので、十字になって技を掛けなければ決して効かない。つまり自分の腰と相手の身体が十字になるのである。初心者は十字にならず平行にしてしまうので技が決まらないのである。平行でなく十字になるためには、腰が柔軟で強靭でなければならない。腰投げをやって十字の腰になるように、十字の腰を練るといいだろう。

「腰投げ」で次に学べることは、相手と自分の腰を密着させることである。合気道の技は相手と隙間が空いていては効かないので、体のどこかが相手に密着することになるのだが、密着する部位は多くの場合腰となるから、「腰投げ」で腰の寄せを学ぶのがよい。腰投げで腰を相手にぶっつけたり、腰を相手の身体に沿うように沈めたりするのである。

三つ目は、目の見る方向、目先の重要性が分かることである。「腰投げ」で初心者はどうしても下を向いてしまったり、どこに目を向けていいのか分からなくなったりするものである。目の働きは大事で、目によって力が止まってしまったり、通ったりする。下を向いたら力が滞ってしまい、相手に押しつぶされてしまう。目は手先が指す方向に、気持ちと一緒に向けなければならない。基本は「指先と目と気持ちは道場の天井と壁の交差する辺りに向けよ」(45度)と言われる。

四つ目は、足の遣い方、態勢である。正しい遣い方をしなければふらついて相手につぶされてしまうか、膝や腰を怪我をしてしまう。初心者は膝を前に倒し過ぎたり、へっぴり腰だったりするので、腰や体が不安定だし、その態勢を続けて行くと膝をいためてしまうことにもなる。脚(下腿)は垂直に遣わなければならない。

五つ目は、「梃子の原理」が学び易いことである。合気道で力があまりいらない理由の一つは、この梃子の原理を遣うことにあるといえるだろう。腰が支点となって手が末端になるわけだが、普通と違うのは末端の手を動かさないで、手を支点にし、対極にある腰を遣うことである。手投げではなく腰投げである。

この他にも、「腰投げ」からは息遣い、足の位置など、合気道の体をつくる上で大事なことをいろいろ学べるものだ。

「腰投げ」は合気の身体をつくる上で重要なファクターを沢山学ぶことができる。逆に言うと、腰投げができなければ、合気道の体として何か大事なものがかけることになるのではないか。高段者は、原点に帰って腰投げの研究もすべきであろう。