【第132回】 争い

合気道が目指すものは、宇宙の意志に従って、争いのない、愛の世界をつくることであろう。争いがない世界をつくるためであるから、合気道の稽古で争っていてはどうしようもない。合気道の稽古は相対(あいたい)稽古で切磋琢磨していくのだが、理想は争わないことだ。しかし実際には、大なり小なり争いが展開されることが多いだろう。

技を掛けたり掛けられたりすると、力がぶつかってしまうことはよくある。多くの場合は、そのぶつかりを不味いと感じるだろうが、そのまま力でごり押ししてしまう。受けの方は、これでは効かないのにしょうがないなと感じながら受けを取っている筈である。しかし、受けが頑強な人だったり、虫の居所が悪かったりすると、時としてそのごり押しの力に対抗してくる。そうなると争いになってしまう。

学校の勉強、会社の仕事、日常生活でも同じだが、合気道の稽古でも上達する上で大切なことは「問題を見つけること」である。上達する上で何が問題なのか、何が上達を阻むのか、分からなければならないということである。初心者の内は「問題」は与えられることが多いが、高段者になると誰も「問題」を提示してくれなくなる。「問題」は自分で気づき、自分で見つけなければならない。

技を掛けて「ひっかかったところ」を如何に自分の稽古に生かすかが、大事なのである。「ひっかかった」ことは、ひとつの問題である。つまり、問題が提供されたことになる。自分の上達を妨げる問題が提起されたのである。有難いことなのだ。これを無視して力づくでやってしまえば、自分の上達のために何にもならないし、その上、時として争いになったり、相手を怪我させてしまうことになる。その典型的な例の一つは、入身投げで腕が相手の首に掛かり、腕が相手の首とまともにぶつかってしまう場合である。多くの人は、腕を首にぶつけたまま無理に倒そうとしてしまうので、相手が固まるか、相手に担ぎ上げられてしまうことになる。他の例としては、四方投げで最後に相手の腕を落とそうとして、その腕が落ちずに「ひっかかって」しまう場合などである。

「ひっかかったこと」を、まず天から授かった問題として捉えることである。そして次に、その問題のソリューションを探すことである。すぐに解決できるものもあるが、多くは真剣に考えても時間がかかるものが多い。中には数年、掛かるし、数10年かけても今だ解決されないようなものもある。「ひっかかり」「ぶつかり」を一つ一つ解決していくと、争いはどんどん少なくなるし、相手が喜んで倒れてくれるようになってくる。合気道は倒すのではなく、相手が倒れてくれるということが分かってくるようになる。

「ひっかかったところ」「ぶつかったところ」で無理に力でごり押しすれば、開祖が嫌っていた「争い」になってしまう。「ひっかかったところ」「ぶつかったところ」を大切に捉え、何故ひっかかったり、ぶつかったりするのか、それをなくするためにはどうすればいいのかを試行錯誤し、争わない技の練磨をしていくことが、地球上に「争い」をなくすための合気の道ではないだろうか。