【第128回】 覚悟

人は惰性で生き勝ちである。特に還暦を越えて高齢者になってくると、その傾向は強くなるようだ。朝、いつもの時間に起きて、いつもの食事をとり、ちょっと出かけて、夕食を食べ、いつもの時間に床につく、を毎日繰り返す。新しいこと、緊張することはあまりしたがらない。

高齢者はそれまでにいろいろな経験をしているため、これをやればこういう結果になるし、新しいことをやればいろいろな問題が出て、解決するのは並大抵のことではないという因果関係を知っている。若いときに比べて、気力も体力も無くなって来ているので、習慣になっていることや絶対に必要なこと以外には手を出さないようになる。出来るだけ問題を持たず、気遣いせず、心配事なしに安全に生きていきたいと思うようである。

しかしながら、それでは自分の明日が分かり、一年後の自分が分かって、面白くないだろう。明日が今日と違うから、来年、10年・・・の自分が楽しみになり、出来るだけ長生きしようと思うのだし、長生きする意味があるのではないだろうか。

合気道の稽古でも、明日、10年後、20年後に変わる自分を夢見て稽古をしているのではないだろうか。昨日と今日が変わっていなければ、明日も来年も変わらないことになってしまうわけであり、今日、今も変わらないことになる。

人生も稽古も、惰性でやっては変わらないし、おもしろくもない。惰性というのは、直線に等速に進むことである。相対性理論では、特殊相対性理論の方である。

変わるためには、挑戦しなければならない。大きな挑戦、小さな挑戦があるが、挑戦するには失敗もあるわけだから、覚悟がいる。挑戦するとは、加速をつけることであろう。相対性理論では、一般相対性理論の範疇にはいる。直線から外れた線上をどんどん加速して進むことである。

人は生まれたときから、死に向かって進んでいる。人は、何も特別なことをしなければ、誕生から死までを結んだ直線上を等速の惰性で生きていくことになる。もし、この直線上を等速の惰性で生きていったとしたら、退屈な人生ということになろう。特殊相対性理論の計算式を待つまでもなく、その人生はy=axという単純なものになってしまうことになる。

死ぬときにいい人生だったと思って死ぬためには、その直線から出来るだけ背離し、そして加速度をつけることであろう。ということは「前を向いて生きていく」ということである。特に高齢者になると、過去にしがみついたり、過去を見詰めたりして、前を向こうとしなくなりがちになってくる。だが、時間的、精神的には若いときより余裕があるはずだから、あとはただ前向きに生きることに挑戦する覚悟をするだけである。

どんな課題や目標が出てくるか、解決したり達成できるかどうかは、前もって分からない。分からないから面白い。上手くいかずに失敗もあるだろう。それは自分の能力、努力、そして運による。

死ぬときに後悔しないためにも「前を向いて生きていく」ことだろう。そのために必要なのは覚悟だけである。

参考文献:
 『ネットの中にあるのはすべて"過去の遺物"』
 (養老孟 Nikkei Business 2008年9月29日号)