【第127回】 老い

人は時として思い込みに陥ることがある。時代がどんどん変わり、世の中や世界が違ってきているのに、世間の人や、過去の人が言ったことに捉われてしまう。例えば、60、70歳で老いるのを当然と思うことである。膝が痛い、腰が重いのは年だからとか、ボケてきたのは後期高齢者になったからだ等と、60、70歳ぐらいになると言い始める。

60、70歳は本当の人生の始まりで、終局ではないはずだ。開祖も常々、「50、60歳はまだまだハナッタレ小僧だ」と言われていた。50,60歳では世の中のこと、自分のことなどほとんど分かっていないと言っていい。50,60,70歳で老いたのでは、ハナッタレ小僧のまま一生を終わらなければならないことになってしまう。開祖は、60,70歳から、ハナッタレ小僧を脱して一人前にならなければならないと諭されていたのである。50、60歳からが一人前になるスタートなのである。

日本人の平均寿命は、今や男性が約80歳、女性が86歳であり、100歳以上の人が30,000人いるという。そして2050年には、100万人になり、日本人の100人に一人が100歳以上になるという。少なくとも、日本人の平均寿命である80歳(女性なら86歳)までは健康で生きたいものであるし、出来れば100歳の仲間入りをしたいものである。

健康で長生き出来るためには、いろいろな条件があるだろう。一つは肉体的に健康であること。そのためには体を遣うことであろう。体を遣って、骨や筋肉を丈夫にし、血液の循環をよくし、体の各部位の機能を維持・拡大することである。勿論、体を遣ったなら、栄養素やエネルギーをしっかりと補充しなければならない。食べること、飲むことは大事である。日頃丈夫で元気な人は、この食べることや飲むことを余り気にしないようである。武道家が早死にする原因の一つだろう。

もう一つは、こころ構えである。老いたと思えば老いたことになるので、老いたと思わないように努めることである。そのためには何か目標をもって、それに挑戦し、その目標をいつか何とか達成したいという理想を持つことである。

肉体的にも精神的にも老いないようにするには、合気道は最適である。合気道は、決して到達できないと分かっていながら、それに向かって少しでも近づくべく修行するもので、達成したい理想を持つことができるだけでなく、達成できないと分かりながら挑戦するというロマンがある。ロマンもきっと老化を遅れさせる救いの神だろう。

肉体的には老いは避けられない。しかし、その速度はある程度調整できるだろう。こころは年とは関係なく持つことができるはずだ。若者でも理想を持てない「若年寄り」がいるし、高齢者でも理想を持ち続けている「高齢若者」がいる。

ここにユダヤ系ドイツ人でアメリカに渡って成功した実業家、サミュエル・ウルマンの老いに関する詩「青春」を紹介する。

 年を重ねただけで人は老いない。
 理想を失うとき初めて老いる。
 歳月は皮膚にしわを増やすが、
 熱情を失えば心はしぼむ。
      (サミュエル・ウルマン「青春」)