【第121回】 相手の立場に立つと愛が生まれる

世の中忙しくなり、ゆっくりと物事を考えたり、味わうことが無くなってきている。コンピュータに代表されるように、yesとnoを瞬時に判断しなければならない時代になっている。デジタル化である。結果までのプロセスを味わうような余裕は無くなってしまっている。成功するためには、他人(ひと)よりデジタル化しなければならないという事かも知れない。結局、他人を競争相手と見るようになるので、競争社会になる。他人は競争相手であり、他人よりもいいモノをもち、沢山持ち、勝ったとか負けたとかというように、人間を見るようになってしまう。悲しいことである。

街には多くの人間がいるが、敵ではない。地球号に同乗している仲間であるはずである。みんな共に何かに向かって、どこかに一緒に進んでいるのである。地球には、日本やドイツやフランスという国があり、産業界、企業がある。また、スポーツ界、武道界もある。合気道だけでも世界中で150万人に上る集団である。その各々の集団は、それぞれの役割を持ち、その目標に向かって挑戦をしている。これらの国々の他人も、集団の人々も、あるものに向かって努力していると思われる。そして、それらの人々を乗せている地球号も、宇宙が創造しようとしているモノに向かって進んでいるようである。

競争社会といわれる今日では、他国や他人は敵と見がちになる。しかしながら、他人は地球号の同胞だと見なければならない。それは、それほど難しいことではないだろう。例えば、街で人を見たら、みんな一生懸命生きているのだなと見ることである。さえないように見えるおじさんも、家に帰れば奥さんや子供がいて、家族のために一生懸命に働いているはずである。会社では嫌なことも家族のために我慢して、何十年も働き続けているのである。やり方はそれぞれ違っても、誰でもみんな一生懸命生きているはずである。

親しい家族や友人、知人の間では、敵視したり、争いが少ないのは、彼らが一生懸命生きていることが分かっているからであろう。遠くの国、よく知らない国と争いが多いのは、その国の人々が、自分たちと同じように一生懸命生活しているのが見えないからといえるだろう。他人も一生懸命生きているということを認めれば、他人が敵ではなく、地球号の同胞という実感が得られるはずである。

相手の立場にたってモノを見、考える。これが大きな意味での合気ということであり、ここに「愛」が生まれのではないだろうか。合気道は愛の養成であるといわれる。技の形稽古を通して、愛を養成しなければならない。相対稽古では技を掛け合って精進するが、相手にも納得いくように、力を加減したり、相手の立場に立った稽古をすれば、「愛」の要請の稽古になるだろう。また、道場の狭い稽古スペースで稽古している人がいれば、見取り稽古をしている自分の場所を隅に移動して、少しでも彼らにスペースを広げてやるのも「愛」であろう。

「愛」の養成というのは、それほど難しいことではないようだ。相手の立場に立って、考え、実行することのようである。この「愛」が世間に普及すれば、世の中がよくなるのではないだろうか。それが合気道の使命でもあるだろう。