【第120回】 若者に夢を与える高齢者になろう

昔から若者が世間を騒がすことはよくあったが、最近の騒ぎとは違っているように思える。最近の騒ぎは、新聞やテレビにとりあげられるような大事件が多い。親や家族を殺害するとか、人ごみで人を切りつけるとか、コンビニに入って強盗を働くとか、刹那的であり、ますます頻繁に起っているようだ。また若者にも、電車の中や路上を歩きながらブツブツ独り言をいったり、突然、大声を張り上げたりする者も増えてきている。

他にも、インターネットを通じて自殺志望の仲間をつくって自殺するとか、自殺をするための情報交換をし合うなど、若者が命を粗末にしているのは悲惨である。自殺と云えば、日本では一年間で3万人以上の人が自殺をしているというから、一日約100人は自殺をしていることになる。この内には若者も多くいるはずだから、残念であると同時に、少子化問題に取り組んでいる国にとってもったいない話でもある。

若者がこのように自分の命を大事にしないのは、一言で言えば、自分の将来に夢がないからであろう。頑張っても今日の状態から抜け出すことができず、明日の自分、一年後の自分が見えてしまい、10年後も今日と同じか、もっと悪くなるだろうと思ってしまうからであろう。それなら苦労して長生きすることもないし、今死んでも同じだ。死ぬのなら、やりたいことをやってしまおうという訳で、誰かを道ずれにしようなどと考えるのではないだろうか。

多くの若者たちが夢を持てないのは、ますます厳しくなる競争社会、モノや金が支配する物質文明社会にあるのではないだろうか。まわりには金持ちが大勢いるのに、どうして自分は一生懸命働いても経済的に大変なのか、どこにでもモノが有り余るようにあるのに、どうして自分は欲しい物が手に入らないのか、等と考えるだろう。テレビや広告は、モノを売る為に派手な宣伝を、大々的にやっているので、嫌でも目に付く。買う余裕がない若者に、欲しくなるような宣伝を見せるのだから、気持ちも混乱してしまうだろう。また、テレビや新聞には毎日のように、贈賄や汚職、使込み、詐欺等々の事件が出ている。心の制御心の弱い若者などは、悪いことをしてでも自分だって手に入れたいと思うことだろうし、実際にやってしまうのだろう。

若者に夢がないのは、高齢者の責任でもあると思う。高齢者は概して、定年退職して、家を建て、子供は独立し、年金も入って、時間的、経済的にゆとりのある生活を過ごせるようになる。それまで何十年も働いてきた代償であるが、若者には羨ましくも、また疎ましくも見えるかもしれない。何故ならば、恵まれた高齢者が若者に何も与えていないのに、若者はこの非生産的な高齢者に年金や医療費のための税金を納めなければならないのである。高齢者は若者に何かをお返ししなければ、若者との繋がりななくなるし、社会との繋がりも切れてしまう。若者はますます孤立して、社会はどんどんおかしな方向にいってしまうだろう。

若者は、高齢者に自分の行く道を見ているのである。高齢者がしっかり生きていれば、若者は自分もそうなろうと、将来に希望と夢をもって頑張れるだろう。

人間はある時代のある期間、せいぜい100年足らずしか生きられない。人類はこうして、100年足らずづつ生き、自分の経験したこと、つくりあげたものを次の世代に伝え、次の世代もその次の世代に伝えてきて、現在がある。そして、さらに、それを続けていかなければならない。

高齢者は会社や職場で働いていたときと違い、最早怖いものはないはずだ。自分の考えに制限を加える必要もないし、儲けなければならないと思う必要もない。本当に自分のやりたいことが、自分のやりたいようにできるはずである。

若者は何かを求めている。何かを一生懸命やりたい、何かに挑戦したいと思っている。本当の生きがいを持ちたいのである。その100年の間に何かをつかんで、それを次世代に残したいのである。しかし、若者にはそれが何か分からないし、どうすればいいのかも分からない。これを教えることができるのは、人生経験があり、世の中の裏も表も知っている、そして知恵のある高齢者である。

高齢者は若者に、生きる喜びや、長生きをする楽しみ、人間の可能性や、年を取る素晴らしさ、目先のことに捉われないこと、大事なこととそうでない事があること等を教えなければならない。その為には、高齢者も更に一生懸命生き、その生き様を若者に見せるようにしなければならないことになる。

若者に伝えることができることはそう多くはないだろうが、誰にでもできることがある。若者に感銘を与えることである。それは自分と戦っている姿、自分に挑戦する姿を見せることである。合気道では、これを「吾勝」という。自分の何に挑戦するかというと、自分の「天命」に挑戦するのである。そして「悟る」ことである。

開祖は「悟るということは、自分にあるので、自分の腹中をよく眺め自分というものはどこから出てきたものであるのか、また、自分は何事をなすべきか、よく自分を知るということが自分に課せられた天の使命であります。」と言われている。また、合気道が喧嘩、争い、戦争、人との競争に勝たんがためのものではなく、自己に与えられた天の使命に勝つことであり、自己の使命に打ち勝つことである、といわれる。そのお言葉通りに、若者に打ち勝とうとする姿を見せるのが、高齢者の使命ではないだろうか。

高齢者が若者にそのような姿を示すことができる社会であれば、若者も生きる喜びを取り戻し、自分の将来を楽しみに生きるようになって、日本はきっとまた世界が羨むような国になるだろう。若者に夢を与えるためにも、高齢者は天から与えられた自己の使命に挑戦し続けなければならないだろう。

参考文献   『合気真髄』 植芝吉祥丸著