【第117回】 問題が出てくれば進歩

合気道には試合がないから、他人に勝つために頑張る必要もなく、自分の実力に合ったように、自分のペースで稽古を続けていくことができる。

道場での稽古は、一般的には二人で組んで、指導者が示す技を、受けと取りが交互にやっていくので、受けがよほど頑張って抵抗でもしないかぎり、技はできることになっている。それ故、初段、二段ぐらいまでは順調に、これといった大きな問題にぶつかることなく、楽しく稽古を続けられるようである。

しかし、5段、6段と高段者になってもまだ問題がないとか、問題を持っていないということは、かえって問題である。問題がないということは、合気道が分かっているということではなく、逆に分かっていないことともいえる。もちろん問題にもいろいろあって、人は誰でも何らかの問題を持っているといえようが、ここでいう問題とは、合気道の修行の上で本質に関わる問題であり、よほど真剣に取り組まないと解決出来そうにない問題をいう。

言ってみれば、禅の公案のようなものである。例えば、合気道とは何か?合気とは何か?一教は一番容易にできるはずなのに何故最も難しいのか?小手返しは何故掛かりにくいのか?天の浮橋に立つとはどういうことか?宇宙のひびきとはどういうものか?等などである。

合気道の技は、各人の合気道の思想・哲学、人生観、それに宇宙観などを現わすことになるので、それをしっかり身につけていなければ底の浅いものになってしまい、相手も自分自身も納得できない技になってしまうことになる。合気道の思想・哲学、宇宙観などを深めるためには、一生懸命に稽古をするしかない。稽古に取り組んでいけば、知らないこと、出来ないこと等が面で広がっていき、また知っていたことや出来たことがより深く、厚くなっていく。稽古の上達は、横の軸と縦の軸の十字に広がるといえよう。

しかしこの広がりは、その人の能力と努力にも因るが、一様ではない。ところどころに上述のような問題が潜んでいて、その広がりを阻止するからである。その問題を解決しなければ、それ以上に広がることはできないので、上達はストップすることになる。

問題は必ずある。ほぼ誰に対しても同じ問題が控えているはずである。まずは潜んでいる問題に気づくことである。自分がなんどやっても上手く出来ない場合、他人が出来るのに自分が出来ない、他人も同じように出来ない、また理が見つからない等などの場合、そこには根本的な問題があるはずである。まずそれを問題と捉えて、その解決に努力しなければならない。それを問題と思わずにそのままにしておけば、それまでである。先へは進めない。

合気道が素晴らしいのは、問題が現れ、それを体で感じることができ、その問題を「わざ」の稽古を通して解決できるということである。「わざ」を相手に試しながら、試行錯誤しながら、解決していくのである。試した「わざ」が相手も自分も満足できるものなら、解決したといってよいだろう。合気道での思想、哲学、宇宙観なども「わざ」を通して、理解したり、実感できるのが、合気道の素晴らしいところである。「わざ」を理論化し、理論を「わざ」で現すことができれば、問題解決と言えるだろう。

上達していくためには、その前に、「わざ」(技と業)や思想、哲学、宇宙感などなどの問題がまだまだ潜んでいる。すべての問題を見つけ出したり、すべてを解決することは決して出来ないだろうが、一つでも多くの問題に出会って、その解決に挑戦していきたいものである。一つの問題を見つければ、一つの進歩であり、その問題を解決できれば、更なる進歩、上達をしたといえよう。