【第11回】 楽をしたければ苦労をする

人間が楽ができるようにと考えた結果、科学が発達し、産業が発展した。人は少しでも楽をしようモードで生きるようになった。世の中の大勢は、日常生活は勿論、学校でも仕事でも楽な方へ、楽な方へと進んでいる。

修行の場であるはずの合気道の道場でも、楽をしようという傾向にある。手を下ろすところを下ろさないし、指でしっかり押さえることもしない、腰を低く落とすところを腰を前に曲げたり、技の押さえをしないで技のやりっぱなしに終わっている。楽をしようと思うと、自分の苦手な人との稽古も避けるようになる。

楽をした稽古をすれば、体も出来ず、技も覚えず、後で楽ができない。楽な稽古をしがちであるが、その結果は苦労するだけである。技をきちっと最後までやるから、その結果、楽に技ができるようになる。

山歩きでは、道の歩きやすい所を探して歩くより、真中をまっすぐ歩くのがよい。大きい段差や障害物などは避ければよいが、基本的にはまっすぐ真ん中を進むのがよい。物事にも、まず正面からぶつかってみることが大事だ。それにより、始めから逃げないでぶつかる気持ちも自然と養える。山道でも、どっちの方が歩きやすいのかなど余計な気を使わなくてすむ。結果的には、その方が楽になるのである。勿論、高齢者で歩くのにあまり自信のない方は、用心深く最も安全な所を歩いて頂きたい。

稽古もはじめから逃げずに真正面からぶつかり苦労すべきだ。そうすれば、極楽が待っている。

―楽をしようと、するな。
 苦労をすると、楽がくる。
 楽をしようとしても、楽にはならない。
 楽をしようと思えば、苦労しろ。―