【第109回】 道

合気道というのは、合気を求める「道」である。道を求めるものには、知っての通りいろいろある。柔道、弓道、華道、茶道等々である。

「道」とは一本の道ということである。ある目標に通じた道(みち)である。目標は、合気道、柔道、弓道、華道、茶道などですべて同じかどうか分からないが、どれも上達するために修練するわけなので、目標はいずれも高い処にあると考えていいだろう。つまり「道」は平面ではなく、上へ上へと行くような、麓から頂上を目指す山道のイメージであろう。山道には、車道、小道、脇道、獣道、樵道(きこりみち)、行き止まり、道なき道などなどいろいろな道がある。

初めのうちは先達が切り開いて整備した車道や山道を行くが、更に自分との挑戦の修行をする場合、この山は人里離れた山となる。ここには小道や樵道や獣道しかない。先が見えないような道を行くことになる。時には間違った枝道を行ったり、道が消えてしまって迷うこともあるだろう。また、時には行き止まりで戻らなければならないこともある。

道はまっすぐ頂上まで続いているわけではない。曲がりくねっていたり、上がったり下がったりするものだ。そこで、当面の目標を置いてから、ひと上がり、ひと曲りして辿り着き、また次の目標を置く。

ひとつの目標が達成できたことは、そこまでの道を見つけたことになる。稽古とは、この目標を見つけ、道を見つけること、道を作ることであるとも言えよう。道ができたら、あとは反復練習をして上達すればよい。何度も反復練習をするということは、その道の部分をならし、良くしていくことだろう。

頭で分かったことを、体で覚えることでもある。はじめは人が一人通れるような、細くて、草ぼうぼうで、周りは藪や小枝が生い茂っているような道でも、段々と踏みならされていくと広いしっかりした道になる。この道を作らなければ、いくら頑張っても、道なき道をうろうろするだけで、上への道は見つからず、上達は無い。

稽古は道を探し、道をならし、その道をさらに進んで、また新しい道を見つけていくことだ。道が見つかれば、次の道を見つけることが出来るようになる。また、その道での反復稽古にも意味がある。体に覚え込ませ、「わざ」を練磨しなければならないからである。

道のない、道に乗っていない稽古は、いくらやっても先に進めず、無駄だろう。合気之道の「道」を探し、道に則った稽古をしたいものである。