【第108回】 水火(すいか)

人類は火と水に魅了され続けているといえるだろう。どんな民族もどの時代でも、人類は火と水に引きつけられて、不思議な力を感じてきた。崇拝している神を敬う宗教儀式には、火と水は欠かせないといえるだろう。火と水、水火には何か神秘的な力がある。

合気道では、この火と水を重視している。開祖は「武産合気」の中で、「この火と水を名づけて合気というのです。だから全大宇宙と言うものは全部火と水にて一杯つまっている。これを合気と名づけている。まず形でいうと、この火と水の交流によって、気というものが出来る。人が呼吸しているのも、火と水の交流による。火と水が一杯つまっているから世界は動き、ものは活動する。」と言われている。合気道では、全宇宙に充満している火と水を正しい呼吸によって自分の体に取り入れ、気を増大させ、そして自分の中にも火と水の交流をはからなければならないのである。

この交流する火と水の陰陽がそれぞれ強く、そしてバランスがとれていれば大きな仕事ができることになる。これを開祖は摩擦連行作用と言われている。曰く、合気が上達すると、「呼吸が右に螺旋して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって、無量無辺である。この摩擦連行作用を生じさすことができてこそ、合気の真髄を把握することができる。」という。水火を結んで、火は水を動かし、水は火によって働くというのである。

火と水は全宇宙に充満している。すると、天地と人すべてに火と水との交流があり、満ちているはずである。合気道はまず天の浮橋に立たなければならないと言われる。天の浮橋とは火と水の交流という。丁度十字の姿、火と水の調和のとれた世界である。つまり高御産巣日、神産巣日二神が、右に螺旋して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、この二つの流れの御振舞によって世界が出来たという。火(か)と水(み)でカミになり、このカミ(火と水)の根源は一元に帰るが、一元から霊魂の源、物質の根源が生まれたという。これが天地における水火の交流であろう。

人における水火の働きとは、例えば稽古のときもそうだが、なにかやろうとするときには、気が昇って身中に火が燃え、霊気が満ちてくる。それと同時に、それを静めようとする気が出てくる。やる気とそのやる気を制御する気持ち(魂)と体(肉体)が働く。若い時はやる気が大きく、それを抑える気は小さい。小さい子供などやりたい放題であるし、制御力は無いと言える。歳を取ってくると、その反対にやる気が減少し、やろうという気を抑えるほうがだんだん強く働くようになる。身近な例で、この火と水を喩えれば、このやる気が「火」で、それを「まあまあ」と言って抑えるのが「水」と言えるだろう。

相対稽古をしていても、また演武をしていても、若くて元気のいい者は、火の玉小僧よろしく、息を弾ませながら一生懸命に動くが、達人になると内に膨大なエネルギーを秘めながら、電工石火の「わざ」にも息切れもせず、水のように静かに動く。若者は火であり陽が強いが、達人になってくると火と水の陰陽のバランスが取れてくる。

我々の周りには、真空の気(宇宙の気)、空の気(物質の気)、そして水があるという。開祖は空の気は重いから、空の気から真空の気に解脱しなければ、身の軽さや早業(勝速霊)に動けないといわれる。水は空の気よりもっと重いので、空の気よりも引力や宇宙の響きを感じやすいはずである。武道の達人や忍者が敵の些細な動きを察知したのは、自分を覆っている「水」の響きを感じたのではないだろうか。

剣などでも、相手が火をもって打ってきたら、水をもって対し、相手を打ち込ませるよう誘ったときは、水が始終自分の肉身を囲んで水とともに動かなければならないと言うことである。つまり「相手が打ってくれば、水とともに開くから打ち込まれない。人の心は天地を司るものであるから、天地水火陰陽の理に想いをはせ、稽古することが大切である。」(「合気真髄」)

開祖は「一挙一動ことごとく水火の仕組みである。いまや全大宇宙は水火の凝結せるものである。みな水火の動きで生々化々大金剛力をいただいて水火の仕組みになっている。水火結んで息陰陽に結ぶ。みな生成化育の道である。稽古は中心に立つ空気を媒介として己れの魂より結んで稽古をする。いまや天運循環している。稽古は水火の仕組みを練る、習うている。イザナギ、イザナミ二柱の神まつり天の道を行なう。統一が一番大切である。これは梅の花。これを充分に研究しなければならない。」と言われて、水火の仕組みの大切さを遺されている。更なる研究を要するテーマであるようだ。

水火の道歌二種
〇武産は御親の火水(いき)に合気してその営は岐美の神業
〇火と水の合気にくみし橋の上大海原にいける山彦

参考文献:
「武産合気」(植芝盛平監修)
「合気真髄」(植芝吉祥丸著)