【第107回】 膝

合気道には立ってやる立技の外に、膝で膝行してやる座技がある。正座から「わざ」をかけるものである。正座は茶の湯が普及した室町時代に生まれ、江戸時代、明治時代に普及したと言われる。長い間、日本には座り中心の生活が続いてきたことにより、座ったところでの攻撃や受けの技、座技ができたと考えられる。座る(正座)こと、さらに武道としての座技は、「座りの文化」と言えるだろう。しかし座り技はどうしても体の動きが制限されてしまい、動きにくいので敬遠されるようだ。また坐り技をやると、足や膝を痛めるので、坐り技はやらない道場もあるという。

かって大先生(開祖)がおられた頃は、稽古時間の3分の1以上は坐り技の稽古をしていたと思う。特に、大先生が東京におられた時は、坐り技が多かった。自主稽古でも、立ち技で変なことをやっていてそれが見つかると大先生の雷が必ず落ちたので、坐り技をやっていた。坐り技を稽古していれば、雷が落ちることはなかったのである。お陰でだれもが、袴にも稽古ズボンにもツギ当てをしていた。白帯の時は早く黒帯になって袴を履きたいと思ったものだが、袴を履けばクッションになって少しは膝の痛みも楽になると考えたのである。

開祖は、座技は腰を練るにいいと言われていた。また「合気道の発力法として坐法を主としている。坐法の動作は、立法よりも更に困難であり、これを身につけることによって、立法の部(技)も自らこなせるようになる。」(「合気道技法」)といわれている。確かに座技をやると、立技では出ないような力が出てくる。また股関節が柔軟になるし、わき腹の脂肪が取れ、筋肉がつく。腰も筋肉がつき強くなる。座技はただやっているだけで、余分な脂肪がとれ、必要な筋肉がつくようだ。だから開祖は奨励したのだと思う。先代吉祥丸道主も、座法を反復練習することが、他の技法への最大の近道であると言われている。

しかし、座技をやると膝をいためるとか、膝がいたいので座技をやらないという人が多くいるのも事実である。座技が悪いのか、体の使い方が悪いのかということになるが、膝を痛めるようなことを開祖は奨励するはずがないので、本人の体の使い方に問題があると考えたい。

物事には表裏がある。いい所と悪い所。ためになるものと害するものがある。座技もやり方によっては体を痛めてしまう危険性は十分ある。特に膝は痛めやすい。

膝を痛めないためには、立ち技での歩行同様、ナンバで足にあたる膝(頭)と手を同調させて、陰陽に動くことである。一寸でも止まったり、踏ん張ったりすると、そのとき自分と相手の体重がもろに膝に掛かることになるので、膝に負担がかかって痛めることになる。

従って、膝の使い方は、正座から片方の膝に重心を移動し、撞木の形で他方の膝を立てる。立った膝を床に着地すると同時に床に着いている他方の膝を立てる。つまり膝は片方が床に着いていて、他方が立っていることになる。これを、両膝を床に着けた状態で「わざ」を掛けると、すべてのバランスが崩れ、膝も痛めてしまうことになるのだと思う。

膝を使えば、立っている時より「地の力(地の呼吸)」(自分の体重の効力)を取り入れやすい。正面打ち一教をやるにも、膝に重心を移動してやれば、立ってやるより相当強力な力がでる。また、半身半立の四方投げで持たれた手も、反対側の膝に重心をかけ、そして他方の持たれている手側の膝を立てながら重心を移動して、持たれた手に力(呼吸力)を集中すると、立ってやるときとは比べ物にならないような強力な力が働く。

この他に膝の重要さを分からせてくれるものに、いつも稽古する「座技呼吸法」がある。これができるようになるには膝が大事である。この「座技呼吸法」は、呼吸力の鍛錬法だが、その意味合いがよく分からないで稽古しても意味がない。

「座技呼吸法」でも、相手との接点である自分の手をむやみに動かすことはできないので、相手を崩して自分に吸収するには肩、背中、腰、膝、を使うことになる。このすべての部分を使うが、支点が必要になる。支点は、梃子の法則にあるように、相手との接点の手から遠ければ遠いほどいいので、ここでは膝(膝蓋骨、膝蓋腱)ということになる。

膝は「大腿骨と脛骨で作られる関節」と、「大腿骨と膝蓋骨で作られる関節」で形成されるので、膝を使うということは、太腿や脛が働くことになる。膝を支点に動かすということは、膝の重心を片方の膝(投げようと思う側)から反対の膝に移動し、そしてまた反対の投げようとする側の膝に重心を移動しながら投げるのである。つまり、膝で拍子を取って投げることになる。

座技正面打ち一教裏や正面打ち入身投げがなかなか出来ないのは、この膝使いが正しく出来ないからであるといえる。この膝使いができれば、立ち技でも出来るはずである。立ち技で正面打ち一教裏や正面打ち入身投げができるようになるのは難しいが、坐り技でそれを会得するのはそれほど難しくないと思う。大先生が座技を奨励されたのもここにもあるのではないか。

膝が痛いのは、座技のやり方が悪いだけではない。恐らく立ち技でも膝を痛めるような稽古をしているのではないだろうか。つまり座技で膝を痛めるのではなく、それ以前に膝を痛めるような体の使い方をしているように思える。

人体も裏と表があり、裏には大事な内臓などをしまっておき、表で仕事をするようにできている。人体の裏(体の前面)で「わざ」を掛けていれば、力が膝に掛かってしまい、長年それをやっていると膝に負担が掛かって痛めることになる。そして、それが高じると腰にきて、腰を痛めることになる。

膝が痛いとか、どこかが痛いというのは、体の悲鳴だから、その声を素直に聞いて、その声が消えるように、体の使い方を変えたり、研究をしなければならない。安易に膝に汚名をきせては、膝が可愛そうであろう。

参考文献 「合気道技法」(植芝吉祥丸著 植芝盛平監修 光和堂)