【第106回】 今が大事

子供の頃は誰でも将来に夢をもつものだが、社会人になると現実の厳しさからだんだん夢が消えていく。それでも将来に夢をもち、その目標に向かって頑張ったり、今は難しいが、将来はこうやりたいと夢を抱いている人は多い。

高齢者になると先が見えてくるので、自分の将来に対して夢を持つことは難しくなるだろう。よく見かける悲劇は、例えば定年になったらあれをやろう、これをやろうと、定年後を夢見て働いたのに、定年になると夢を追求しなくなったり、中断してしまうことである。

高齢者になれば、それまでとは違って、将来とか後でということは難しくなる。だから、思ったこと、やりたいことはすぐやるべきである。夢を持ったり、なにかやりたいと思うことを実現するためには、体力、気力、時間、経済力が必要である。若い内は、体力、気力は十分あるが、時間と経済力がない。高齢者は体力、気力がだんだん衰えるし、何か事故でもあればガタッと落ちてしまう。時間も余裕はあるだろうが、先に残っている時間はどんどん減っていく。高齢者になれば将来を待つ余裕はないだろう。

人は恐らく誰でも最終的に、自分は十分に生きた、生まれてきてよかったと思いたいのではないだろうか。子供を育てて子孫を残したり、何かで名を残したり、作品を残したりして、生きたことを実感する人もいるだろうし、名前も名誉も財産も残さないが、自分はよくやったと思う人もいるだろう。

合気道の稽古も、自分はよくやったと思って終わりたいものである。そのためには、稽古をしていれば、その内上手くなるだろうと考えて稽古するのではなく、いつもこの稽古が最後と思って、ベストを尽くしてやることである。形稽古で、間違ったからといってやり直したり、次があるから間違ってもいいとか、その内もっと上手くできるだろうなどと思って稽古をしていれば、上達は難しい。

かって稽古人が大先生に、「奥義(極意技)を見せて下さい」と言ったところ、大先生は、「わしのやっているのがすべて奥義(極意技)だ」と言われたという。大先生は常に最高のものをお示しになっていたということである。

高段者で高齢者であれば、常に最高のものを出し切って稽古すべきである。ベストを尽くせば、失敗も素直に受け入れることができるし、その解決も早い。毎回ベストを尽くし、最高の「わざ」をやっていけば、結果として進歩、上達することになる。いつでもその時が最高でなければならない。「人はよく、死ぬときが一番強い」とよく言われるが、このことであろう。

明日に期待するのではなく、毎日、毎回、ベストを尽くし、決して辿り着くことができないと分かっている目標に向かって一歩一歩よじ登る。これはロマンである。真のロマンは、先が見えてくる高齢者にならないと味わえないかもしれない。高齢者にとって大事なのは、過去でも未来でもない。今だ。