【第105回】 網代(あじろ)

合気道では「技の形(かた)」を通して合気の道を探求するが、まず「技の形」がきちんと出来なければ先に進めない。言葉を代えれば、「技の形」が出来た程度にしか、合気の道は分かっていないことになる。従って、合気を分かろうとすれば、「技の形」をしっかりやらなければならないことになる。たかが形、されど形なのである。

形を生かすも殺すも「わざ」である。「わざ」とは技でもあるが、業である。業とは体の使い方である。

相手に技をかけるときに大事なことの一つに、相手との接点に自分の重力がかかるようにすることが挙げられる。相手が持っている手に体重がかかるようにするのである。そうすればどんなに力自慢の相手でも抑え切れないはずである。しかし、相手との接点にどうすれば自分の体重を掛けることができるかとなると、それは容易ではない。大概は手さばきになるので、肩からの腕の力しか出せないか、または自分で突っ張ってしまうために弾き飛ばされて、体重が相手に伝わらないのである。

体重を一点にかけるには、いくつかの条件がある。例えば、持たれている手と腹が結ぶこと。肩が貫けて、手先と腹(正確には腰)と結ぶこと。ナンバで手と足が同調し、陰陽で動くこと。骨盤底横隔膜を使った武道の呼吸をすること。それに、触れた瞬間に相手と合気して、自分に取り込んでしまうこと等である。相手を合気し、一体化できれば、一点に体重をかけることができるようになり、そこではじめ業をかけられるようになる。しかし、ここに難しい点がある。合気している相手との接点を動かしたり緩めたりすると、相手は生き返って悪さをするので、動かすことも緩めることもしてはならないことである。つまり、この接点部位を動かすことなく、相手を倒したり押さえなければならないのである。

手を動かせないならば、その他の部分を使わなければならない。体幹も大事だが、なんと言っても足である。足を有効に使うことである。合気道の業の原則は、自分の体重(重力)を片方の足の上にかけることである。重心を両脚の間に置くと、重力は軽減され「わざ」の威力は半減する。この足に集めた体重の力を切らずに使うには、その足から他方の足への重心移動を切らないようにすることである。そのためには足を「網代(あじろ)」に使わなければならないだろう。

網代に使うとは、両足のつま先が平行して動くのではなく、基本的には直角(撞木)で動くことである。業として使う場合、あるいは歩行する場合は、この直角の角度を変えればいい。直角とは、足の踵の中心と中指を結んだ線の中心(土踏まずの辺り)から直角の線上をいう。つまり、地を踏んだ足の直角の線上に、次に踏み出す足を、もっと正確に言うと「足の踵の中心と中指を結んだ線」をのせるのである。「わざ」をかけるときには、ここから足の内側(親指側)に重心を移動すると、体が倒れこむ体勢になり、自分の体重を効率よく相手にかけられる。重心は縦の線からその直角の横の線上を移動することになる。つまり、十字である。正面打ち一教はこの十字の足捌きを使わないと、上手くいかないようである。(写真参照)

網代(あじろ)は武道では撞木(しゅもく)ともいう。我々が稽古を始めた頃は「撞木」の方を使っていた。網代を字から解釈すると「網の代わり」ということである。網は直角に編まれているが、使い方によって編みの形は四角から菱形、棒状などいろいろな形に変化できる。この足を使えば、入身転換がやり易いし、浮き身、猫足、また急な山坂も歩きやすい。

網代織(写真)があるように、網代には「安定」「結び」「からみ」・・・などの意味があるようである。

「わざ」(技と業)は「足でかけろ」といわれる。足を縦(踵と中指の線上)に使っても、体重を生かしきれないし、下手をすれば膝に負担をかけて痛めてしまうことになる。足をTの字(十字)に使い、重心も縦と横の十字に移動する網代の足使いを研究してみてはどうだろう。

参考文献  「合気道」(植芝盛平監修 植芝吉祥丸著)