【第104回】 進歩と退歩と合気道

人類はすこしでも快適に、少しでも楽に生きようとし続けてきた。600万年前にアフリカに誕生した人類も、少しでも楽に生きるべく切磋琢磨していた。人類はそのはじめから楽な方、楽な方にいこうとする遺伝子が備わっていたようである。しかし、また楽になった代償に多くのもを失い、そして新たな問題を背負うということを繰り返しているようである。

睡眠時無呼吸症という病気がある。無呼吸状態が睡眠時に10秒間以上、それが一時間に5回以上続くのをいう。無呼吸というのは首を絞められときのような窒息状態であるが、そのまま死ぬことはないようだ。しかし、それをほっておくと心臓病や脳卒中を引き起こす危険な病気で、全国に500〜1,000万人いるといわれる。

この睡眠時無呼吸症は、人類が石器を使うようになったために起きた病気だという。250万年前ごろ、アウストラロビデクス・ガルヒと呼ばれる人類の祖先が、人類史上はじめて石器を使って動物の肉を食べたという。これ以来人類はやわらかい食べ物を食べるようになり、顎の力を最大限使う必要がなくなり、顎が小さくなり、舌が丸くなってきたという。睡眠時無呼吸症は、この小さい顎と丸くなった舌が原因とされているので、人類を楽にした石器が、今の人類を苦しめる病気をもたらしたことになる。

現代もますます便利になってきている。人類はどんどん楽な方に流されている。よほど意識して生活しないと、車やエスカレーターなどに頼って、一日千歩も歩くことがなく、階段や坂を登ることもないだろう。テレビを見るのにも、スイッチを入れたり、チャンネルを変えるのにいちいち立つ必要もなく、寝ながらリモコンで用が足せてしまう。人はなるべく体を動かさず、その場に居ながら指先でスイッチを押すだけで、何でもできてしまう方向に向かっているようだ。ビジネスや産業もその方向に進んでいる。

便利になった現代だが、かってなかった病気や問題が起きている。典型的なのはメタボリックシンドロームである。60年代までは食べるのに精一杯であり、腹一杯食べるのが夢であったのが、今や食べきれないほどの料理が食卓に並ぶようになった。これを豊かになったといい、進歩であるという。しかし、その反面、体や内臓に脂肪がつくメタボリックシンドロームという病気が増えてきている。豊かになったために発生した負の遺産である。豊かになって腹いっぱい食べられるようになったのに、体力が衰えてきている。学校の体力測定でもそうだし、道場の稽古人を見ていても言えることだ。

楽をして体力が落ちた体に力をつけ、体のバランスをとるには、合気道の稽古がよい。全身を使って体を伸ばしたり、畳の上を転がったりして、体を調整し、バランスをとり、その上鍛えることもできる。快適な住環境や職場環境で楽をして、汗もかいたり寒さに震えることもなく、甘やかされたままの体を刺激して、日頃あまり使わない手や脚を使い、汗びっしょりになれる。一生懸命稽古すれば、やっただけの効果がそれだけ出るものだ。

進化した環境で甘やかされている体と心を、人間の本来の体と心に戻すには、合気道の稽古はよい。自分の体であるという実感、生きているという実感が、持てるはずである。


参考資料: NHKテレビ「睡眠時無呼吸症 〜石器が生んだ病」