布斗麻邇御霊の形と“あおうえい”の言霊で技をつかうようにしている。天地との一体化を感じ乍ら技をつかえるようになったし、武道として大分強い力も出るよういなったし、無駄な動きもなくなってきたと思っている。
“あ”で手を振り上げ、“お”で切り下ろし、“う”“え”“い”と進み、収めるのである。この技と体づかいは、正面打ち一教だけでなく、片手取り呼吸法も他の技も同じであると考える。
しかし“あ”から技と体をつかっていくと何か違和感を感じるようになったのである。“あ”から始めると若干間が空いたり、出す手にゆるみが出たりするのである。
そこでこれは何が問題なのか、どうすればいいのかを考えることにした。
この問題と解決法はやはり大先生の教えにあったのである。以前から目にはしていた教えであるが、その意味が分からなかったので素通りしていたのである。
その教えとは、「天の浮橋」である。天の浮橋に立たねば武は生まれないという教えである。大先生は、「合気道は、どうしても『天の浮橋に立たなして』の天の浮橋に立たなければなりなせん。これは一番のもとの親様大元霊、大神に帰一するために必要なのであります。またほかに何がなくとも、浮橋に立たねばならないのです。」と教えておられるのである。
また、「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。」とも言われているのである。つまり、これまで布斗麻邇御霊の形を現わすように技をつかって来たわけであるが、その前に天の浮橋に立たなければならなかったということである。
それでは天の浮橋に立つとはどういうものかということになる。大先生は、「天の浮橋に立たされて、「ア」は自ずから「メ」は巡る。浮橋の「ウ」は空水にして縦となす。橋の「ハ」は横となす。水火結んで縦横となす、縦横の神業。自然に起きる神技。」(合気神髄 P.151)と謂われ、ここから縦横の神業が自然に起こると教えておられるのである。
この教えはこれまで頭では理解していたつもりだが、実際、技にどう関係するかが分からなかった。今は布斗麻邇御霊や“あおうえい”の意味や働きが大分分かってきたので、これで「天の浮橋」を解読してみたいと思う。
| 天の浮橋 | ||||||
| あ | め | の | う | き | は | し |
| ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ |
| 天 | 巡る | 浮き | 橋 | |||
![]() | 🌀 | 🌀 | | | ━ | ||

となる。(武産合気P98)。因みに布斗麻邇御霊の形は
であるが、
=
である。
の状態から技をつかわなければならないという事になる。布斗麻邇御霊の最後の御霊と“い”で腹を締め、胸を開いて息を出し気を満たすことだと考える。通常でも、
の状態の天の浮橋に立っていれば、いつでも技が使えるようになるわけであるから、いつでも
の状態にあるのがいいだろう。つまり常に天の浮橋に立っているという事である。