高齢になると己の使命がわかってくる。年を重ねるほどそれを切実に感じるようになる。言うなれば、高齢者の特権だろう。
“使命”というのは、天地や神、つまり宇宙(この後はまとめて神とする)から与えられたやるべきことであると考える。若い内は理解しにくい。己も若い頃はわからなかった。
この“使命”を若い人にもわかるように言いかえれば、自分が本当にやりたいこと、やらねばならない事である。具体的な例をあげれば、学者などの研究、教師のように人に教える、絵描きのように絵を描く、音楽家のように音楽で人を楽しませる、子育て、平和活動、勿論、武道家などなどである。世の中の人々、否、万有万物が使命を持って、それぞれの使命を果たしているから地球も宇宙も上手く生成化育をしているわけである。神が各自に使命を上手く割り振っていると感嘆するばかりである。
84才になった私もこれをやらねばならない、やりたいと思いながら合気道を修業し、論文を書いているわけだが、今ではこれが己の使命であると確信するようになったのである。何故、己の使命であると確信するかというと、これまでの人生で知らず知らずのうちにやるよう、やらざるを得ないように導かれてきた事を自覚したからである。また、使命を果たすべく頑張っているところに問題が発生したり、迷っていると何者かが助けにきてくれるのである。自分一人ではどうしようもない事をああしろこうしろと導いてくれるのである。ということは、私に使命を与えた神が私に与えた使命に対して責任を持ってくれているということだと考える。
大分年を取り、体力も気力もなくなってはきたが、意外と元気にやっている。それは使命への挑戦をしているからだと考えている。使命への挑戦を続けている間は元気でやっていけるし、また健康上だけでなく経済的な問題を心配せずに生きていけるようである。だから、お金の事や病気の心配などはしない。それは私に使命を課された神の仕事だと思っているから、そちらにお任せしているわけである。
いづれ己の使命に終わりが来ることはわかっている。それが正確に何月何日とはわからないまでも、使命の終焉が来たことには気がつくはずである。それは挑戦している使命に対して神の支援が無くなるはずだからである。神の支援が無くなり、これで己の使命も終わったと実感するはずである。
その時がいつ来るかは分からない。だからいい。そんなことは知りたくない。
やるべきは、使命への挑戦だけである。後は神にお任せである。
高齢者が楽しく、長く生きる最良の方法は「使命への挑戦」であると結論つける。