【第1006回】 魂は強力

これまで魂を実感したことを二回書いた。一つは、「第1002回 魂に近づく」に書いた、片手取り呼吸法や半身半立ち呼吸投げでのを魂と感じた事であり、二つ目は、「第1005回 魄が下、魂が上、魂が魄を導く」で、息を吐いて手の平を張るとその上の手の甲に魂が生じるのを感じた事である。
しかし、この感じたものが魂であるという自信がなかった。また、この魂と技の関係、つまり魂がどのように技に影響を与えるのかも分からなかった。
合気道は魂の学びといわれるわけだから、魂こそが最終的な学びの対照であるはずだし、魂を会得することによって最高・最強の技がつかえるはずであると考えた。また魂は魄力や気力よりも強烈な力を発するはずである。従って、これまでの魄力や気力よりも強力な力が出、それを技でつかえればそれが魂であると云っていいと考えたのである。

そこで上記の二つ目の稽古で引き続き魂の探究をした。片手取り呼吸法で、手の平を魄の土台にし、その上の手の甲に魂を生じさせ、この魂で魄をつかうのである。
ここで分かってきた事は、手の平の土台がしっかりすればするほど、手の甲の魂が増強するということである。息を吐きながら手を親指支点(体)に進めると、腹中の引く息で手は手鏡の形に返る。手の平から強力な力が発散されると同時に手の甲にも強力な魂が出る。これまでにない強力な力である。そしてこれこそが魂であると実感出来るのである。しかし、気と違い、その姿がわからない。気は十字から生まれ、凝結と引力が働く。気力であるが、魂には魂力はないようである。だから「魂力」という言葉がないのだろう。しかし、気力よりも強力な力を生じる事を実感出来るのである。

手も水火でつかう。水の手は、手は息を吐いて縦に進める。親指・人差し指を体に進める。手の平を張る。頑強な手になる。火の手は、手の平と甲を横に拡がる手で手鏡の形になる。手鏡がしっかりしないと手の甲に魂は生じないから、はじめは意識してでも手鏡をつくらなければならないと考える。大先生が技を使うにあたって手鏡を大事にしていたことが分かる写真を示す。(資料:『武道練習』合気道開祖植芝守高著)

手を水火でつかうわけだが、更に言えば、布斗麻邇御霊の水火でつかえばいいということである。手も手の平を土台の魄とし、しっかりした土台の上に魂を載せ、この魂で土台を動かすのである。土台は魂の土台であるから最後まで磐石でなければならない。ゆるんだり、動いたり、ぶれてはいけない。魂が載らないのである。これで布斗麻邇御霊の水火の形に組み込んでつかうのである。