【第1004回】 木も草も家族

最近は胸を張って技をつかい、また、なるべく胸を張って歩行したり、日常の動作をするようにしている。お陰で道場の相対稽古での技の効き目は相当違ってきた。手の動きに時間的及び物理的無駄がなくなり、肩と体と手が同時に動き、無駄のない力が出るようになったのである。

胸を張っての効果は道場以外にもあったのである。それは道場に行く道での発見であった。合気道の修業は道場だけではないと改めて悟った次第である。つまり、修業は何処でも何時でも出来るし、しなければならないという事である。
胸を張っての歩行をしていたわけだが、胸での息づかいはこれまでの腹中の息づかいと何かが違うようで中々難しい。腹中の息づかいは丸く吐くが、胸は息を四角に引くからである。息を四角く引いて胸を張るわけである。胸でこの四角に引く息づかいに少し慣れてきて、この息づかいをしながら周りの道路わきの木や草を見ると普段と違って見えるのである。目に入る草木はすべて天に向かって伸びようと一生懸命に頑張っていると見えたのである。
私は以前から、自分が地球の上に立って歩いているが、何がそうさせているのか、どうして立って歩けるのかが不思議であったが、周りの草木を見てそれが分かったのである。
人も草木も万有万物は天に向かい成長しようとしているのである。手入れされた草木や花だけでなく、踏みにじられたような雑草も天に向かって伸びようとしているのである。みんな懸命に同じ方向に伸びようとしている姿は感動ものである。自分も天に向かって頭を伸ばし、足を地につけて歩いているが、周りの草木花と同類であり、大先生の言われる家族であるという実感を持ったのである。そしてそこに愛が生まれたのである。お互い一緒に頑張ろう、元気で長生きしてくれ等と言う愛である。

そこで胸を張っての息づかいから何故草木に愛を感じ、家族と思うようになったのかを考えてみた。
まず、胸を張り、胸で息をつかうとは、以前から探究している布斗麻邇御霊のである。これまではよく分かっていなかったが、これでこの御霊の働きと重要性がわかったわけである。つまり、で魂が腹中から胸に入り込み、胸で四角に息を引くことでこの魂が体を覆い、この魂で周りの草木を見るからだと考える。魂は愛であるということである。魄の息づかいや顕界の目では草木の気持ちは見えないし、分からないだろう。それ故、己もこれまでは草木の気持ちや活動が見えなかったわけである。

草木が家族になれば、万有万物は家族という事になる。また、相対稽古の相手も家族でなければならない。共に地上楽園をつくるために稽古をしているからである。これを大先生は、「みなそれぞれに処を得させて生かし、世界大家族としての集いとなって、一元の営みの分身分業として働けるようにするのが、合気道の目標であり、宇宙建国の大精神であります。」と教えておられる。
今回のテーマを一言で云えば、胸を張るとはであり、魂と愛を生み出すということである。