【第1003回】 高齢者の歩行

前回は高齢者が陥り易い高齢病の典型的な例を取り上げた。それは足の突っ張りによる立ち上がり、起き上がりが困難になり、そして歩行が思うように出来なくなる事である。
今回は、起き上がり、立ち上がりが出来るようになったので、次の課題の高齢病に挑戦することにする。周りを見れば分かると思うが、高齢者は歩行に苦労されている。自分も一時そうだったのでよくわかる。だから出来れば動かずにじってしていたいと思うようになり、活動が減退するのである。

しかし、生きているのに歩行しない、出来ないというのは不自然である。体、足がそう訴える。何とか歩けるようにしなければならない。
それではどうすればいいのか。二つの方法がある。一つは、若い時にやっていたように弱いところを鍛える事である。足が弱ければスクワットや屈伸運動などをやる事である。もう一つは、宇宙の営みと一体となって体、足を使う鍛錬である。どちらがいいということではなく、二つを取り交ぜてやればいいだろう。年と共に、恐らくは二番目の宇宙との営みとの一体化の比率が増えるはずである。

それでは宇宙の営みと一体化する歩行とはどんな歩行であるかということになる。もし、宇宙の営みと一体化した歩行ならば、宇宙の条理・法則がある歩行となり、健康で無駄なく、力強く美しい歩行となるはずである。
また、この歩行は科学的歩行ということになり、誰がどこで何時やっても出来る歩行という事にならなければならない。

それでは宇宙の営みと一体化する歩行は宇宙の営みの何と一体化するのかということになる。
それは「水火」である。宇宙は水火の営みで創造され、そして営まれていることはこれまで勉強してきた。人間も小宇宙(ミクロコスモス)と言われるように、やはり「水火」の営みから生まれ、そして生存している。水火の息が止まっても、心臓のドキドキの水火が停止しても生きてはいけないのだ。
故に、人が健康で楽しく生きていくため、また、よりよき世のために働く際は、この宇宙の水火の営みと共に体と息を使わなければならない事になるのである。

それでは歩行するための宇宙の水火の営みとはどんな水火なのか。それは前回もちょっと触れた水火である。

この水火は以前にも説明したように、布斗麻邇御霊より割別れたる十二の水火の一つである。因みに、布斗麻邇御霊の水火とこれから割別れたる十二の水火の違いであるが、布斗麻邇御霊は一つのモノ(例えば、宇宙や天地、合気道の技)を無から完成させる御霊(水火)。布斗麻邇御霊より割別れたる水火は一つの動作や動きをするための水火と考える。例えば、歩行である。
この水火で歩行するとはどこにも書いていないが、歩行で悩んでいる時にこれを見てピーンと来、またこれを体、足で実感できたのである。 それを説明する。
この意味するところは、足を地に降ろす際、息を吐く(水)。そして息を引き(火)足が上がると同時に反対側の足を息を吐きながら降ろす。吐く息強く長く、そして引く息短くとなる。いづれも腹中の息づかいとなる。

次は、前図の下部分である。
この意味するところは、まず息を吐いて、そして息を入れる(引く)という息づかい(水火)である。

因みに高齢病の歩行は、息を吐くだけで息を引く(入れる)ことがなくなり、突っ張って歩く歩行になるわけである。つまり、水→水→水→水である。

要は、この宇宙の営みである水火に則って歩行すればいいということなのである。これで多くの高齢者の歩行の問題も解決されると思う。