大先生は「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません」(武産合気 p.77)と教えておられるので、これまで“あおうえい”の言霊の助けを借り、布斗麻邇御霊で技をつかうように努めてきた。そして分かった事は、合気道の技はこの布斗麻邇御霊の水火の形に則ってつかわなければ技にならないということである。この御霊の一つでも無視したり、軽視すると技は不完全になる、つまりヒルコになるのである。
また、布斗麻邇御霊と一体化することによって宇宙との一体化ができるということである。合気道の修業の目標は宇宙との一体化であるが、その目標は布斗麻邇御霊との一体化で可能ということなのである。
これまで布斗麻邇御霊と“あおうえい”と合気道の基本技の関係やつかい方は記してきたので詳細は省くことにする。
布斗麻邇御霊にはこの七つの御霊の他にこれらの御霊から割れ別れた御霊がある。またこの御霊にも形がある。それは水火の形である。
水火の水は、吐く息、縦、縮む/絞るであり、火は引く息、横、膨らむ/拡がるである。宇宙も天地も、また人もこの水火で営み、生命を保っているのである。
さて、布斗麻邇御霊から割れ別れた御霊である。これらの御霊は無からモノを創造し、完成させる働きはなく、或る一部の動作であると考える。手を上げるとか、切り下ろすとか等である。その動作を水火でやるわけだが、水火のつかい方には布斗麻邇御霊と同じように、法則、決まりがあるのである。故に、その法則に従わなければ、その動作は上手くいかないし、体を損なう事になってしまうはずである。
前述の大先生の「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません」の教えは、この布斗麻邇御霊から割れ別れた御霊も含んでいるように思える。何故ならば、これらの割れ別れた御霊を決まり通りにつかわなければいい技が生まれないようだからである。
| 割れ別れた 御霊 |
動作と水火の関係 |
![]() |
息を引くと気が集まり点(ポチ)が生じる。腹中や手先にそのポチが実感出来る。 |
![]() |
手先を左から右に、横(緯)に払う場合は、息を引き乍ら手や剣をつかう。 |
![]() |
手先を上から下に、縦(経)に切り下ろす場合は、息を吐きながら(水)下ろす。 |
![]() |
十字から気が生じ己の手は凝り、相手も凝結させる。ここから技が生じる(興也)。 |
![]() |
右上から左下に手や剣で切り下げる時は、息を口から吐きながら下ろす。(水也、口也) |
![]() |
左上から<右下に手や剣を下ろす際は、息を吐きながら落とし、腹中を拡げて(火)止める。(水中火也) |
![]() |
左下から右上に上げる場合は上記と逆で、息を引き乍ら上げ(火)、腹中の息を絞って止める(水)。 |
![]() |
天と地、つまり頭と下肢は天地平行に動くようにつかわなければならないということだと考える。頭や体を捻ってはならないという事である。 |
![]() |
これは歩行の水火である。息を吐いて足を地に下ろし(長い|、その足が腹中の火で上がってくる(短い|)。同時に、他方の足が地に下り、上がると続くのである。 息が出て、入るという自然の息づかいである。これを出入息也と言っているはずである。 |
![]() |
息を引き乍ら左から右に横に払い(火)、息を吐きながら(水)左下に切り結ぶ動作。口での呼吸という事である。(口也) |
![]() |
息を吐くのは水で○である。円く吐くである。 |
![]() |
息を引くのは火で□である。□に引くである。 |
このように単なる動作であっても、御霊の水火に合っていなければ上手く動けないし、いい結果も生まれない。水火は布斗麻邇御霊だけでなく、布斗麻邇御霊より割れ別れたる水火の形も大事なのである。