【第1000回】 これからどうする

ついに目指していた1000回を迎えた。この論文書き始めてから約20年になる。当初は、1000回の目標を達成できるとは思っていなかったし、またこの論文を毎週休みなく書いていく自信もなかった。しかし、結果的に見ると、20年間、毎週欠かさず書くことができたわけである。今こそ仕事もしていないし、国内外の出張もないのでこの論文を書いたり、考えたりする時間と余裕があるが、当時はドイツへの2週間ほどの出張は年に2,3回程あったし、月数度の国内出張もあった。論文はこの『合気道の体をつくる』の他に『合気道の思想と技』『合気道の上達の秘訣』『高齢者のための合気道』の計四編を書いていたわけだから、我ながらよくやったと思う。

さて、1000回を達成したわけだが、これでどうするかである。1000回達成を目指していた時は、1000回になったらこの論文を終了したいと思っていたし、このような挑戦はもうしたくないと思ったのである。
しかし1000回達成が近づくとその考えは少しづつ変わってきた。1000回以降も引き続き書き続けるべきだと思うようになったのである。更なる挑戦である。四編を1000回書こうと決めたのは私にとって一大挑戦だった。これほどの大挑戦をしたのはこれまでない。否、もう一つある。それは一本歯で高尾山の頂上まで登り下山したことである。それも二回やったのである。後でその道を歩いてみると、よくぞ一本歯で歩くことが出来たと感心すると同時に、よくぞ転げ落ちず、無事に登ったと冷や汗をかいたのを覚えている。2006年のことであり、合気道研究所所長ブログに書いてある。この一本歯よりも1000回論文を書くという<挑戦は大変だったということなのである。
さて書き続けるその理由である。1000回で目標の回数には到達しても、己の合気道のレベルは求めていたレベルに達成していないからである。目標にしていたのは、合気の体である。言葉では難しいが、大先生の体であり、有川定輝先生のような体である。力と気が満ち、相手を弾くもくっつけるも自在な体である。
故に、更なる精進が必要である。更なる精進のためにはこれまでやってきたように、毎朝の禊をし、道場での相対稽古をし、そして毎週論文を書くのが最良の方法であると考えたのである。

『合気道の体をつくる』でも、まだやるべき事が残っているのでそれもやらなければならない。まだまだ体が十分にできていないのである。体に三元八力が十分に働いていないということ事もできる。故に、改めて剛柔流、つまり骨、関節と筋肉、筋と流体(血液、リンパ液等)を鍛え直すのである。
また、これまで体の部位を一つ一つ鍛えてきたので、各部位、例えば手首、肘、肩、胸鎖関節を別々に動かす事ができるようになったが、これらを?げて一本に働くようにしなければならないと考えている。
更に体をつくるためには、体を法則に則ってつかわなければならないから、更に宇宙の法則を発見していかなければならない。これも永遠の課題である。法則に合する体づかいが求める体をつくるということだからである。


年を取ってくると体は衰える。力は弱くなり、体は萎んでくる。しかし、それまでの若い時ときより強くなり、上手くならなければ武道修業の意味はない。そのためには、以前から書いているように、宇宙天地や自然のエネルギー(力)を頂かなければならない。若い頃のように自分の魄にたよるために魄を鍛えるに加え、天地宇宙、自然からエネルギーを貰い体をつくり、つかっていかなければならないと考えている。
いずれお迎えが来て動けなる事は承知しているが、どこまで、年を取っても体がそれまでの力、否それ以上に働いてくれるのか楽しみなのである。上手くいって、それを後進や社会の人に伝える事ができればうれしい限りである。
これは、合気道の大乗である地上楽園建設のための生成化育の一環であるだろう。人類や万有万物へのご奉公である。

合気道の修業には終わりがないという事なのである。合気道の体をつくるにも終わりがないのである。1000回の終わりが、更なる始まりとなるわけである。新たな挑戦の始まりである。これまでのように、きっかり毎週四編となるかは分からないし自信がない。体次第である。