【第100回】 長続きするよう

合気道は奥深いものである。やればやるほどその奥深さが分かってくる。従って、少しでも奥深く行くためには、一年でも長く、一日でも多く稽古をするように心掛けなくてはならない。

人は生まれた瞬間から死に近づいているし、合気道の修行を始めたときから止める瞬間に近づいていることにもなる。修行を始めても、必ず出来なくなる時がやってくる。それ故、一生懸命、密度の高い稽古をするのも大事だが、少しでも長続きするような稽古をしなければならない。稽古をやって怪我や病気になったのでは意味がなくなるし、かえって長生きにはマイナスである。

合気道をやっている人の中には、結構多くのひとが膝を痛めるようであるが、それでは長く稽古を続けることはできない。膝を痛めたということは、体からのメッセージである。そのような体の使い方をして稽古しているのは、どこかが間違いであるというメッセージである。従って、そのメッセージを早い時期に真摯に受け留めて、体の使い方を変えなければならないのである。

そうすれば、膝の痛みが消え、サポーターをせずとも、その後長きに亘って稽古を続けることができるようになるはずである。もちろん、そのためには、先輩や他人から話を聞いたり、本を読んだりして、自分の体で試し、研究しなければならない。膝の痛みが取れたとすれば、そのやり方、体の使い方は正しかったことになる。痛いままで従来通り稽古を続けていけば、膝はますます痛くなるだけでなく、その痛みは腰に来るようになるかもしれない。体の悲鳴に耳を傾け、対処していかなければ、稽古は長く続かない。

若い頃は、少々体を酷使したり痛めても稽古を止めないものだが、高齢になればやらない方がいいだろう。若い内は、やればやるほど筋肉はつくし、骨もしっかりしてくる。若い体はどんな鍛錬にもついていけるものだ。怪我をしてもすぐに直る。しかし、高齢になって無理をすれば、体を壊してしまうことにもなりかねない。怪我によって稽古が中断すれば、そのまま続けられなくなってしまうものだ。高齢になれば、無理をしない、理合の体の使い方をしなければならない。自分の体を最大限活用し、労わって、少しでも長続きできるように稽古をしていくべきである。

高齢になっても体を鍛えることは必要であるが、体を痛めたり、長続きしないような鍛錬はすべきでない。一時的にしか出来ないことは無理があるので、無理はしないことである。無理しても、それを毎日、あるいは10年後まで続けることはできないだろう。稽古は長く続かなければ意味がない。鍛錬をする場合も、今後5年10年、修行の終焉まで続くものでなければならない。無理はよくないが、上達のための努力はしなけれならない。それには、自分の実力のちょっと上、紙一重上の修行をしていくように心掛けるのがよいだろう。

若いときは相手を倒すことに重きを置いても、高齢になったら明日に繋がる稽古をするのがいよい。二教裏でも、今効かなくともよいのである。先に繋がる稽古をしていけば、筋肉ができ、手先と腹が繋がってくるだろうから、そのうちにはもっと上手くできるようになるはずである。今無理をして理に合わないやり方で二教を決めても意味がない。効く効かないが相手との関係で決まるとしたら、稽古の意味がない。

それよりも自分を鍛え、変えていくことである。今できなくとも、いつかできるように、その稽古を先に繋げていく。そのためにも、稽古はできるだけ長く続けなければならない。

手先が器用なことはよいことだという先入観があるせいか、合気道の技をかけるのも、手先でかけようとしてしまうようだ。手先からだけでは、強靭な力は出ないものである。何故ならば、手先は体の中で末端にあるため、力が出しにくいところであるからである。

若いうちはまず体を鍛えなければならないので、手先を十分使って稽古をする必要があるが、高齢者がそれをやると、手や腕、それに肩を痛めることになる。また合気の力(呼吸力)がでないので、いくら頑張っても思うように技がかからない。そうすると、稽古が楽しくなくなって、続かない原因になるだろう。高齢になったら、自分の力を最大限に使うよう、末端にある手先ではなく体の中心に近い背中、腰、脚などからの力を使うようにしなければならない。

若いうちは受け身をどんどんとり、取りで相手を投げるときでも、元気に勢いよく、体と精神を全部使ってやるのがよい。体の動きに息が合うようになり、息が上がらなくなり、肺や心臓も強靭になる。

しかし、年をとってきたら、ゆっくりとやるのがよい。初めのうちは、息を吸う、吐くを意識してやる。動き、「わざ」と息が合うようにするのが大事なことである。若いうちは動きに息が合うような稽古をするが、高齢者は息に動きが合うようにするのがよい。長い息づかいで、ゆっくりと動くのである。長い息づかいができるようになれば、きっと合気道も「息が長く」できるはずである。しかも、ゆっくりとした息使いができるようになれば、超速でもできるようになるはずだ。

50、60は鼻ったれ小僧といわれている。合気道も60歳ぐらいから段々わかるようになるようだ。60歳ぐらいの高齢になってから、ようやく本格的な合気道を始められるということだろう。高齢者からが修行の再出発と心掛け、それから先少しでも長く修行が続けれるようにしなければならない。