【第100回】 意識する

合気道の稽古を見ていると、よく言えば「自由奔放」、悪く言えば「滅茶苦茶」にやっている人が多い。合気道の稽古は、形(かた)を通して「わざ」を磨いていくものだが、「わざ」に決まりはないため、どうやったとしても間違いではないのである。お仕舞や日本舞踊のように、少しでも手足の位置や角度、拍子などを間違えると、すぐに注意されたり、扇子などでバッシっと叩かれたりするものではない。教わる先生がよければ、間違いを正し、いい方向に導いてくれるが、今の集団稽古ではそれも難しい。従って、間違いは自分自身で見つけ、自分で解決していかなければならないことになる。

上手になるためには人一倍の稽古が必要であるが、だからといって、ただやれば上手くなるわけではない。上手くなるように人一倍稽古しなければ、上手くなれない。

上手くなるためにはいろいろあるだろうが、その一つに「意識する」というのがあるだろう。初心者でも受身をとりながら、相手の動きについていき、相手の「わざ」を少しでも盗もうと意識しながら受けをとるようなひとは、上手くなるはずだ。やられまいとして逃げたり、我を忘れてがむしゃらに動いても、上手さへは繋がらない。

技をかける場合にも、体勢、足運び、重心の移動、手の軌跡と回転、相手との接点、相手の崩れ具合、自分と相手の呼吸などなどを意識し、感じるようにしなければならない。一教、四方投げ、入身投げなどをやる場合には、体全体に意識を入れ、手先から足まで、頭の天辺から足の踵まで、意識が入っているかどうか確かめながらやらなければならない。それを、合気道では「気を入れる」というのではないか。

はじめのうちは、目で見て頭で判断する、脳を使った意識の使い方になるが、だんだん頭ではなく、体で感じ、判断しながらやる、直接脊髄神経になる動きを意識するようにするのがいい。技をかけるにも、はじめは相手と接している手を見て、相手が崩れたのかどうか確かめたりするが、慣れてくると、目で見なくとも、相手との接点で相手が崩れているのか、どういう状態なのか、さらにどうすればいいのかを感じ、臨機応変で対応できるようになるものである。

合気道では、相手に掴まれているところを意識するなといわれるが、それは目や頭(脳)で意識するなということであり、ボーッとしろということではなく、体(脊髄)で意識しろということである。

形や「わざ」は無意識でやれといわれるけれど、はじめから無意識でやっては、動きが滅茶苦茶になってしまうだろう。まず自分の型(スタイル)をつくることも大事であるから、はじめは目で見、頭(脳)で意識して、確認しながら稽古をすべきである。そして、段々と頭(脳)から体に意識を入れていき、脊髄神経を活性化する稽古をし、頭(脳)が無意識で動けるようにするのがいいだろう。