【第99回】 過去にしがみつかない

人は定年になると、一般的に年金暮らしに入り、それまでのように毎日仕事をしなくてもいい身分になる。だれでも仕事をしなくてもよい生活を夢見て働いてきたのに、実際に定年になって仕事をしなくなると寂しくなる人が多いようだ。

寂しくなるのは、次のような理由からと思われる。一つは、以前どんなにいい会社に勤め、偉い役職についていても、仕事をやめれば以前のそれに誰も関心を示してくれない。二つ目は、かっては名詞にある肩書きで相手は応対してくれたのに、定年後は自分のアイデンティティがなくなる。知らない人と会って、自分を紹介するのに、自分が何者なのか言うことができないのである。三つ目は、生産的に生きられない寂しさである。ひとは遺伝子の中に、「生産的に生きろ」という遺伝子が入っているように思われる。人のために生産的なことができないと、無意識のうちに満足できず、寂しくなるのだろう。

ひとは新たな環境に入るのを恐れたり、入ることに躊躇する。また、入ってもとまどうものだ。定年後の高齢者となると、嫌でも新たな生活に入らざるを得ない。これまでの生活パターン、価値観などは変わってくる。それだから、多少は寂しくなるだろう。しかし、その反面、よいところも沢山あるのだ。そこから、新たな人生を楽しむことができるのだから。

新たな人生を楽しむためには、まず過去にしがみつかない、拘らないことである。他人は人の過去などにはあまり興味がない。今のその人、人間性に興味があるのである。知識や知恵をくれるひと、場を盛り上げてくれるひと、趣味を持って造詣が深いひと、等である。一言でいうと、アイデンティティのあるひとである。特に外国ではアイデンティティを大切にする。そのためには自分の好きなこと、得意なことをやることである。

アイデンティティを持つためにも、合気道はよい。合気道は歳をとってもできるし、そこには深い思想や哲学があり、一生かかっても極めつくせないような奥があるので、挑戦するにはよい。また、これまでのビジネスや日常生活とは別次元のものなので、会社や肩書きなど全然関係なく稽古できる。

今までの社会生活の中での自分、他人と比較し、戦ってきた自分、多くの競争での勝敗の結果などは、すべて忘れなければならない。しかし、今までやってきたこと、戦ってきたこと、挑戦してきたことは、無駄にはならない。今まで生きてきたことすべてが、合気道に反映される。合気道の「わざ」(技と業)はその人の思想、哲学、人生観の表れであるからだ。従って「わざ」を見れば、その人の生き様、人間性や人生観、世界観などがわかってしまう。世界観や人生観がしっかりしていなければ、それなりの「わざ」しかできないことになる。

高齢者の合気道は、若者と違って、他人との勝負でやるべきではない。若者はどうしても相手を意識してやるが、高齢者は相手も自分の過去も忘れ、今の自分との戦いで行くべきである。今日の自分に勝てれば、明日の自分にも勝てるだろう。明日、一年後、5年後の自分が楽しみになるだろう。長生きをしたくなるはずだ。

人生の終わりに、自分の人生に悔いがなく、満足できるように、自分を少しでも高めていくように努めるべきであろう。今が、大事なのである。今を充実させることだ。そこには他人や過去のしがらみが入る余地はない。