【第97回】 挑戦し続けよ高齢者

十数年前まで日本は世界で最も安全な国と世界から賞賛されていたが、今や国がどんどん乱れてきているのは残念である。次から次へといろいろな問題が起き、犯罪も増えて、新聞やテレビは毎日ニュースにことかかない。その中で特に問題なのは、若者の問題である。これからの国を担う若者が、問題を起こしたり、世の中を騒がすのは、日本の将来がないということもである。

若者が荒れるのは、高齢者にも大きな責任があると言えるだろう。高齢者がしっかり生きていかなければ、若者はそれを見て、将来に希望を持てず、今さえよければ後はどうなってもいいと思ってしまうだろう。高齢者に金と時間があっても、自分たち若者にはなにもやってくれず、先行き短いにもかかわらず、株とか土地とか金儲けにうつつを抜かしている。お金のこと、損した得したということ、誰々がどうなったとかこうなったとか、聞くのが馬鹿馬鹿しい話を大声でしている。こんな姿を若者達がのべつ見ていたら、一生懸命生きる気持ちもなくなるだろう。

本来、若者は生きる意味を見つけたいと思っている。どう生きればいいのか模索しているのである。しかし、そんなことは学校でも友達も教えてくれない。家庭でも親でさえ教えられないだろう。なぜならば、今60歳以上の親たちは若者の頃、食べられることと経済的に豊かになることに、疑うことなく邁進していたので、生きることについてじっくり考える余裕はなかったのである。お金があり、経済的に豊かになれば、必ず幸せになると信じていたのである。

しかし、今や日本は世界第二の経済大国になり、経済的には豊かになったが、以前と比べて幸せになったかというと、幸せになったとも言えるが、多くの大切なものを失ったことに気が付いてきたのではないか。これは日本だけの問題ではなく、世界中で経験されている普遍的な問題であるようだ。ひとはまわりの皆が貧しいうちは、欲がでないし、助け合っていくが、少しお金が入ったり、入る可能性ができると目の色が変わり、顔つきも悪くなってくる。そして、お金やモノ(物質)に振り回されるようになって、大事なものを失っていく。

今の若者は子供の頃から豊かに育っているので、お金やモノなど物質のために自分の人生を犠牲にはしたくないと考えているようだ。もちろん生活する程度は欲しいだろうし、多ければ多いほどいいだろうが、そのために自分を犠牲にしたくないと考えている。ここに、親と子即ち若者の考えのギャップがあるのではないか。

このギャップのある二者を一緒にできるのは、高齢者であるかも知れない。高齢者は、貧しい時代と豊かな時代を生き、得たものと失ったものを知り、何が大切で何が大切ではないかが分かっているはずである。その高齢者がしっかりした考えを持ち、その生き様を若者に見せればいいと思う。

若者が期待する高齢者の生き様とは何かを一言でいうと、「挑戦し続ける」ことであろう。80歳、90歳、100歳の高齢者が好きなことに打ち込んで、まだまだ未熟と挑戦する姿や、お祭りなどの社会的行事に参加して、元気のいい若者を指導するする姿には、若者に感動を与えるにちがいない。だから、合気道でも、体の続く限り修行に挑戦し続けなければならない。それを見れば、若者ももっともっと頑張ろうと思うはずである。若いうちは多少強かったり、うまくても、それほど人を感動させられるものではない。感動は、歳の差にも大きく関係があるようだ。

もちろん若者は、高齢者が合気道をやるからだけで感動するのではない。高齢者が摩訶不思議の強い、うまい合気道をすること、さらに、それに満足せず挑戦し続けることに、感動するのである。挑戦し続ければ、合気道の若者だけでなく、道場外の若者にも分かってもらえ、影響を与えることができるようになるだろう。その場合、重要なことは「わざ」ではなく、わざの背景にあって基本となる哲学や思想ということになる。

若者がいきいきとしてくれれば、世の中きっとよくなるはずである。
若者に生きるはりをもってもらう為にも、高齢者は挑戦し続けよう。