【第95回】 高齢になっても出来るためには

合気道の修行は、決して完成することはない。修行とは、ただ完成を目指して、それに一歩でも近づくことしかできない。完成出来ない事が分かっていながら頑張るのは、ある意味では悲劇である。しかし、この修行を悲劇と感じてやっているひとは一人もいないだろう。逆にみんな、合気道の修行にロマンを感じているはずである。われわれ合気道家はロマンチストといえるだろう。

稽古事は長く続けなければならない。どんなに才能があり、努力しても、長くやらなければ、目標に触りもしないし、見えもしない。名人、達人といわれる人たちは、若い頃から命をかけて修練し、80、90歳の高齢になるまで修行を続けた人たちである。どんなに強くて、上手いひとでも、80歳以下では達人として、また90歳以下は名人として歴史に名を残しことはできないといわれる。

達人、名人にならないまでも、ある程度のことが身につくためには、出来るだけ長く、つまり高齢になっても修行を続けなければならない。しかしこれはなかなか難しいようだ。高齢になるにつれて、力は衰えるし、体力がなくなり、病気が多発し、怪我をしやすく、またその怪我は治り難いなどと、若いときとは大いに事情が変わるからである。

しかし、逆に考えれば、高齢になったり、近づいたら、これらの問題が起こらないように注意すればいいということになる。まず、若いときはあまり気にしたり、注意しなかった病気や怪我に注意することである。病気にならないよう、暴飲暴食を控え、食事(たんぱく質、ビタミンを摂る)、睡眠、水摂などに注意することである。

次に、若いときのように、馬力や体力での稽古をしないことである。つまり、理に合った体の使い方や力の使い方をすることだ。肩を貫いて、体の表の力を使い、手と足を連動し、陰陽で動くように注意してやるとよい。

息の使い方も骨盤底横隔膜を使った、武道の深い呼吸をすれば、股関節などの深層筋が使えるようにもなる。深層筋は高齢になっても衰えないし、鍛え続けることが出来ると言われている。能楽師が80,90歳の高齢にもかかわらず、助走もつけずに飛び跳ねることができるのは、深層筋のなせるものである。若いうちは表層筋(浅層筋)を鍛えて、高齢になるに従い、深層筋を鍛え、使えるようにしなければならない。

歳をとってくると、どうしても体は硬くなってくる。若いときは一寸体を動かせば体が伸びるが、歳をとってくれば、意識して体を伸ばさないと、なかなか柔らかくはならない。それにはストレッチ運動がいいが、若いときのように元気よく息を吐きながらストレッチしても、筋肉は柔らかくならなくなる。息を吐くと筋肉は硬くなるのである。骨盤底横隔膜を使って腹に息を入れながら筋肉を伸ばさなければならない。これが出来れば、この息づかいは「わざ」にも使えるようになり、無理なく相手と一体となり、崩すことができるようになる。息を吐きながら「わざ」をかけたのでは、相手をはじき飛ばすことになってしまうし、「わざ」の途中で息が切れて、「スキ」(吸気)ができることにもなるし、息切れがして疲れることにもなる。

高齢になっても無理なく稽古を続けていけるためには、基本がしっかりしていなければならない。基本ができていなければ、高齢になって先に進むベースがないわけだから、先に進めないことになり、結局止めることになってしまう。少なくとも「入身」「転換」「呼吸法(座技、諸手取り)」「一教」「二教」「三教」「四方投げ」「入身投げ」「小手返し」「天地投げ」「回転上げ」ぐらいはきちんと出来なければならないだろう。人により、体型により、これらの形(かた)と「わざ」に得意不得意ができるものだが、不得意が不得意でなくなるまで、また得意はますます得意になるよう、修練すべきであろう。

このような基礎が高齢になる前にできていれば、高齢者になっても先に進めるし、また高齢者になるのが楽しみにもなるだろう。高齢者の稽古はそれまでの稽古とは違うはずで、次元の違う稽古だろうと思われる。開祖が言われたような、魂が魄の上になる修行、天の岩戸開きの修行に入るのだろう。これなら高齢になっても、体が動く限り修行を続けることができるはずである。