【第86回】 高齢者の役割

高齢者が元気に活躍しない社会は、活気がなく、社会問題が多く、さらに徐々に衰退していく。その理由は、歴史の継承者である高齢者の経験と知恵が、社会に生かされないからである。また若者に年を取ることに対する素晴らしさを与えられないからである。

社会は、若者の知識だけでは機能しない。今の日本も欧米先進国も、知識で機能しない社会の問題を抱えている。今はモノ(魄)の世界で、パワーと知識が支配する時代だ。合気道も、まだまだ魄の次元から抜け出せないでいる。 合気道は、魂を魄の上にくるよう修行するものだ。開祖が言われた「第二の岩戸開き」である。合気道を修行している者、合気道に引かれて入門してくる者は、無意識か、自分でも気が付かない内に、この岩戸開きをしたくて始めるものが多いはずである。しかし若い内は、どうしてもパワーに頼った稽古をしてしまうので、この扉が開けず、潜在的に欲求不満でいるものが多い。

高齢になると、パワーの限界を知るようになる。そして、魂と魄の関係の重要性にだんだん気が付くようになり、若者の魄のパワーもある程度制することができるようになる。若者はもともとパワー以外の何かを求めて、合気道をはじめた訳なので、自分のパワーが高齢者の智の「わざ」に軽く制せられれば、納得するものである。

「わざ」(技と業)は、哲学、人生観、世界観、そしてこころを現わすものである。従って長く生き、多くの経験を積んだ高齢者の方が、若者よりこの点有利であるはずだ。高齢者がパワー溢れる若者を説得できるのは、長い人生で培ったものから得たこころということができるだろう。従って高齢者はますますこころの修行をすることが大事ということになる。

若者が素晴らしい「わざ」を使う高齢者を見れば、自分もそうなりたいと思うだろうし、その「わざ」、そして合気道を継承してくれるだろう。こんなものかと思われれば、希望が持てず止めてしまうだろうから、合気道は継承されなくなることになる。

高齢者は、責任重大である。自分のことだけ考えてやるのではなく、若者を鼓舞するよう、若者に稽古を更に精進するよう、そして彼らが高齢者になるのが楽しみになるよう頑張らなければならない。ひとは何をするにも、他人に喜んでもらえるのが一番うれしいものだ。若者に喜んでもらい、それを自分の更なる精進へのエネルギーにするのが、一番いいのではないか。