【第85回】 第二の人生

大体の人は65歳になると定年になって、それまで勤めていた会社を辞める。後は退職金、年金、貯金、財産などで食べていくことになり、基本的には仕事に行く必要はなくなるわけである。定年後も経済的な理由から働かなければならない人や、好きで働く人も多くいるだろうが、それまでの働き方とは違って、時間的、精神的な余裕ができるだろう。

一般的に定年後は新たな人生を送ることになる。いわゆる第二の人生である。もはや、それまでの延長線上で生きることは出来ない。それまでにどんなにいい会社で働き、どんなにいい地位にあったとしても、会社を辞めればただの人になる。もし定年後もそれにこだわっていれば、誰にも相手にされないで、滑稽であり、人の謗りを受けることになるだろう。

第二の人生はゼロからの出発と考えた方がいい。それまでやりたくとも出来なかったことを、思い切りやることである。定年になるまでは、本当にやりたいことをやりたいようにするなど、まずできなかったはずだ。定年になってやっとチャンスが来たわけだから、自分の可能性への挑戦をすべきである。ひとは自分が本当にやりたいと思ってやったときに、最もいい仕事ができる。いやいやながらやったり、ひとから言われてやったものや、仕事だからとやったものの成果というのは、完璧にはほど遠いもので、自分の実力が完全には出し切れていなかったはずだ。

学校も仕事も、自分が本当に勉強したくて、あるいは仕事がしたくて、入った訳ではないだろう。ほとんどは偶然であり、弾みであっただろう。これまでは環境や偶然に生きてきたともいえる。

合気道を定年後に始めたり、定年になっても続けたりするのは、本当に自分の意志ということになる。本当に好きなこと、やりたいことを自分の意志でやるわけだ。自分の思うように、好きなだけ出来るのである。

ただ稽古に対する考え方、やり方は若いころと違わなければならない。若いときは体力、気力をつける稽古が中心になるが、高齢者になれば主にこころの修行が中心とならなければならない。もちろん、体力、気力の稽古はいつまでも続けなければならないだろう。

定年を迎える前は、学校でも会社でも社会でも、損得を計算しながら生きてきたのではないだろうか。しかし、定年を迎えたら、損得で何かをするのではなく、ひとのため、社会のためになるように生きるべきであろう。定年までは自分のため、家族のために働き、生きるのもよいが、定年後の第二の人生では、人のため、日本のため、人類のために働きたいものだ。また、稽古もそうありたいものである。