【第76回】 出来上がるな

長い間合気道の稽古をしていれば、必要な筋肉や骨格は強靭になり、合気の体ができ、そして多くの形も覚え、防御(受け)の要領も身につけてくる。5年から10年ぐらいでこのような状態になり、普通の稽古相手に対して倒れまいと頑張れば、ちょっとやそっとでは倒れなくなる。そうすると自分は強くなったと思ってしまうものである。

本当の稽古はこれからである。つまり体ができたところから始まるのである。戦前は基本的に柔剣道の有段者にしか教えなかったと言われるように、まず体ができていないと、合気を学ぶのは難しいということだろう。

合気道の稽古をやっていると、合気道が分かったつもりになったり、自信過剰になったり、出来上がってしまうような時期が何回かある。最初は受身が取れるようになったとき。次は合気道の形(かた)をある程度覚えたとき。その次は、ふつうの稽古相手には頑張れば相手の技が効かなくなったり、倒されなくなったとき。そして大抵の相手を倒せるようになったとき等である。

実は、この段階では、体がちょっとしっかりし、多少パワーがついて基本的な形(かた)をちょっと覚えたにすぎないのである。ここからが次の段階へのスタートなのである。次の段階とは技の練磨である。ここまでの段階では、技がほとんど出来ていないのである。

技を磨くのは容易ではない。それまでのように筋肉や体力をつけるのとは違い、正当な道、宇宙万世一系を行かなければならないからである。少しでも油断をすると、やり易い自己流、我流の亜流にいってしまう。よほど真剣に稽古をしていかないと本流にのらないし、技は身につかない。その上に一生懸命やっても上達は遅々としたものだ。そして技が完全にできるということは決してないことも分かってくる。出来ないことがわかっていても稽古を続ける。これがロマンである。

技ができるようになってくれば、心(魂)を技にのせる稽古をしなければならない。技を通して心(魂)を練る稽古である。やることは限りなくある。長い間稽古をした高齢者でも、出来上がっている暇などない。自分は強い、出来るなどと思ったら、そこがピークであとは後退が始まるだけである。いつまでも出来上がらず、ロマンを求めて精進しよう。