【第73回】 理合の稽古

人間、高齢になると若かったときのように体が動かないし、スタミナも無くなってくる。若いときは、精一杯できるだけ体と精神を鍛え、自分の限界を知り、その限界を押し上げていかなければならない。高齢者になったらそれは出来ないだろうし、若いときのように頑張る必要もない。何故ならば、高齢者はそれまでの人生で自分を知り、自分の限界も知っているはずだからである。

高齢者の稽古は、若者のように頑張るのではなく、理に合ったものでなければならない。合気道は非常に奥が深く、いくらやってもまだまだ先がある。開祖も、われわれから見れば合気道を完璧に修めたと思えるのに、最後まで「まだまだ修行だ」と言われていたほどであった。従って完璧にはできないが、それに近づくために、少しでも長く修行するようにしなければならない。

理に合わない稽古をすれば、力が出ないだけでなく、体をこわしてしまい、合気道修行からの引退ということになってしまう。理合の稽古とは、合気道の哲学に則って無駄が無い、自然に逆らわない稽古である。従って、その技や動作には哲学がなければならないことになる。

合気道の理に合った技は、相手に違和感や不快感を与えず、反発を起こさせず、共感、共鳴させ、争いになり難い。理合の技は相手が頭では抵抗しても、接点のところでは正直に反応し、くっ付き、結んでくれる。そして相手は自分から倒れてくれるようになるので、わざわざ力で倒す必要もなくなる。開祖が言われた、「人の仕事の邪魔をしない」「相手の不足を補う」ということである。

高齢者の稽古は、合気道の哲学をひとつひとつ技に取り入れていき、無理の無い理合の稽古を、少しでも長く続けていくことであろう。