【第72回】 問題は目標が無くなったとき

合気道の入門者は増えているようだ。本部道場でも、新しい稽古人が増えているようである。しかし、20年、30年以上の古参の稽古人は少ないようである。合気道は5年や10年で分かるものではないので、古参が残らないのは残念である。

入門して数年間は、一生懸命稽古をするものだ。まず受身が取れるようになろうと、自主稽古で受け身の稽古をしたり先輩に投げてもらったりし、関節を鍛えるために、二教や三教をかけてもらったりしながら、形をひとつひとつ覚えていく。新しい形を覚えたり、出来たりするのは楽しいものである。入門から3〜5年ぐらいは、稽古に具体的な目標をもっているので、嬉々として稽古をしている。

しかし、5年、10年とやっていくとほとんどの形は覚えてしまうため、今度は何を目標にすればいいのか分からなくなってしまうようである。人は稽古を続けていれば上手くなると信じているようで、稽古だけは続けているのだが、10年も経つと思ったように上達していないことに気付くのである。そこで多くの人は失望し、合気道を止めてしまうように思われる。特に、この時期に体調を崩したり、会社や家庭の事情で稽古に通うのが難しくなると、それがもとで合気道を止めてしまうことになるようだ。

合気道の上達のためには、稽古を続けてやらなければならないが、ただやればよいということではない。上達するようにやらなければ、上達はない。上達するためには、上達するための目標を持たなければならない。そして明確な目標をもち、強固な意志でそれに立ち向かわなければならない。大切なのは技ができないことではない。出来ないのは、その時点のことである。出来ないものは出来ないのだから、それを認め、如何にすればできるようになるか考え、努力すればよいのである。従って、出来なかったり、失敗したり、問題があることは有難いことでもある。何故ならば、目標ができるからである。

合気道では、目標がなくなったときが一番危険であるといえる。目標を長い間見つけられなければ、合気道を止めることにもなるだろう。稽古の目標には、遠いものや近いものがある。道場に稽古に行くときでさえ、その日の稽古での目標・課題をもっていなければ、稽古の成果は半減するだろう。この目標をもった稽古の習慣がつけば、合気道だけでなく、働くこと、家庭生活、生きることなどにも明確な目標を持つこともできるようになるだろう。

合気道の修行で常に目標をもつ習慣をつければ、目標はどんどん大きくなり、いつかは開祖が言われている壮大な合気道の目標に近づけるのではないだろうか。