【第69回】 技は人柄

よく絵は人柄をあらわすといわれる。つまり絵には人柄が出るということだ。その人の性格、人間性、人生観などが、絵に描かれるということである。絵だけに限らず、何かを創造したり、表現すれば、その人の人柄が出るはずである。 合気道も然りである。技には人柄が出てくる。気の優しいひとは、技も優しいし、相手を思いやって技を使う。気の短いひとは、動きもせっかちである。

ひとは一人として同じではない、人柄が違うだけ、技も違うことになる。かつて開祖の直弟子で、本部で教えられていた師範の技は、それぞれ非常に異なっていた。植芝吉祥丸元道主、藤平光一、齊藤守弘、山口清吾、多田宏、有川定輝などの各師範方は同じ大先生に教わったとは思えないくらい違っていた。

上記の師範方は曜日毎に稽古日が決まっていたので、すべての師範と稽古しようと日曜日も含めて毎日、稽古に通ったものだ。もちろん形(かた)は当然、全師範に共通で同じであったが、技の使い方、考え方、教え方が各師範で全然違うのである。その違いは、各師範方の並外れた個性、人間性、人柄からのものであったといえよう。換言すれば、師範たちの大いに違った技は大いに個性的な師範の人柄そのものであったといえる。

技が人柄であるということからいえることとして、合気道を修行する上で大切なことは、ひとつは、自分を向上させて「技」を向上させることである。更なる体験や学習をし、いろいろな人の話を聴き、宇宙の真象を腹中に胎蔵し、自分を鍛えるのである。その結果、技も変わるということである。もうひとつは、技を変えることによって自分を変え、向上をはかることである。合気道の技は非常に精妙にできている。合気道の技は自然の息吹と一致しているし、宇宙万世一系とむすびついているといわれる。自分がなにもので、どこからきて、どこにいくのかを教えてくれる秘儀でもある。技が精妙に使えるようになればなるほど、自然がわかり、宇宙がわかり、自分もわかるようになり、そしてひいては自分を向上させることになるだろう。

高齢者の技には、これまでの長い人生経験、それから出てきた人柄が表れる。技で自分を十分表現でき、それを分かってもらえたら素晴らしいことだろう。