【第68回】 お酒

お酒は美味いものである。美味く思うのは人間だけではなく、猿も猿酒というものを飲むと聞く。紀元前数千年前からエジプトにはパンを発酵させたビールのようなお酒があったといわれるが、恐らくそれ以前からお酒は存在していただろうから、お酒には長い歴史がある。またお酒は地球上のほとんどの地域で飲まれているのだから、お酒はどこでもいつの時代にも飲まれている飲み物ということになる。

成人を過ぎると飲む機会がどんどん増えてくる。合気道の稽古で道場に通うと、稽古の帰りとか、いろいろな行事の帰りや、お花見や暑気払い、稽古仲間の昇段祝いや出版祝いなどけっこう飲む機会も多い。

しかし、お酒の飲み方、お酒の限度、つまりどこで止めるかは難しいものだ。日本は酔っ払い天国といわれるように、酔っ払いには寛大であるが、武道家である以上、そのような醜態は見せるべきではない。昔は酔わされて殺されたということなどもあったようだが、今は殺されることはないにしても、事故など起こしたり、事件に巻き込まれないような飲み方をしなければならない。

有名なケインズ理論を打ち立てた経済学者ケインズもお酒は好きで強く、教え子の学生ともよく飲んだが、大分強かったようで、いつも酔いつぶれた学生をその家まで送ってから帰宅したそうである。しかも、どんなに遅くなっても、必ず書斎に入って、自分の研究を続けるために本を読んだり、論文を書いたりし、その後で寝たと言われている。つまり、ケインズのお酒の限界は、「仕事ができる」までであった。

高齢者になってもお酒はついて回るだろう。食事をすれば、お酒は付き物である。お酒の飲める量は、人により、また健康状態により変わる。仲間と一緒に飲むと、差しつ差されつで量が増える。そこで合気道を修行している高齢者のお酒を飲む目安としては、飲んだ後、まだ「稽古ができる」ことであろう。昔だったら、まだ戦える状態である。従って、足元がふらついたり、手元が狂ったり、ろれつが回らなくなったのでは稽古は無理なので、飲み過ぎということになる。

お酒は美味しい。稽古で汗をかいた後の一杯は、稽古をしない人には味わえない美味さがある。だが、お酒にもいい面と悪い面、表と裏、陰陽がある。お酒も稽古にむすびつけて、仲良く付き合っていきたいものである。