【第669回】 高齢をネガティブに捉えない

最近は高齢者の歌をよく聞くようになった。若い頃は若者の音楽、西洋の音楽しか聞かなかった。年を取ってくると好みが変わってくるようだ。
例えば、最近は森繁久彌や美空ひばり、エディット・ピアフなどよく聞く。森繁久彌など、いろいろな経験をしたようで、その体験とそこから培った人間性が歌にもよく出ているので味がある。美空ひばり、エディット・ピアフは年を取っても、人間を超越した声と声量に魅了させられる。若い頃の声に磨きがかかり、年齢のいぶし銀で魅力が増している。

人は年を取ることをネガティブに捉えてはいけないと思う。いい事も沢山あるし、また、年を取らなければ得られないものがあるからである。
合気道でも、若者は元気はつらつ、怖いもの知らずで稽古をしている。しかし、技は荒いし、深みがない。真の合気道が見えない。合気道の真の目標が見えないのである。目標が決まっていないから、一生懸命に稽古をする割りには、空回りしたり、違う方向にいってしまうことになる。

真の合気道に入っていくには、そこに立ちはだかる壁を突破していかなければならない。そのためには知恵、勇気、忍耐がなければならない。若い内に、十分楽しみ、苦労をし、挑戦し、多くの事を学び、身につけなければならない。自分は何者で何処から来て、何処にいくのか、何をすればいいのか等、ある程度はまとめなければならない。それがなければ合気道の稽古をしても、真から満足することは難しい様に思うからである。
そのためには、年を取っていかなければならない事になる。

若いということは、高齢者になるための準備であるといえよう。
合気道においては、ほとんどの若い稽古人が考え違いをしている。「いつも稽古をしている技の形稽古が合気道」だと思っているようだが、これはまだ真の合気道の準備段階なのである。真の合気道へ進むために体をほぐす準備段階なのである。

物事には、すべて準備段階がある。準備段階であるが、これをしっかりやらないと、真の次元に入ることができないのである。歌の世界でも、合気道でも同じである。そして人生でも同じである。準備段階の次元でしっかり努力すれば、真の段階の次元で、素晴らしい成果を出せたり、成果を披露することができるわけである。

合気道での高齢者の技は、その人のそれまでの集大成であるから、技を見れば、その高齢者がどのように生きて来たのか、どれだけ頑張ってきたのか、そして人間性などがわかるようになるものである。技ひとつで、その人が見えてしまうのである。

高齢者になって、人に納得してもらう技をつかいたいなら、若い内から人間性を磨くことが必要になるということになる。合気道ではこの理想の人間性は、真善美であり、そのため体育、気育、知育、徳育、常識の涵養が必要であると教えられている。これは年を取らないと大成できないはずである。