【第66回】 金々々(かねかねかね)

高齢者同士で集まると、話題の中心は健康とお金のようだ。飲み屋での話題は健康が多いようだが、喫茶店などでの高齢者グループの話はほとんどお金が中心になっている。中には大きな声でいかにも金があるような話し方をしている人もいるが、そういう人にかぎってあまり金はなさそうだ。昔から、ほんとうの金持ちは金のことなど人前では口にしないものだ。無いものにかぎってあるようにする。また、健康な人も、健康を話題にする必要はないだろう。

金は誰にでも、あるだけしかない。話したからといって、増えるわけでもないし、聞いている人がお金をもらえるわけでもない。金があろうが、損しようが、得しようが、他人には関係ない。お金で大事なことは、自分のお金を如何に最大限活用できるかということである。ビジネスのための資金を別にすれば、お金を有効に活用できるのは、自分の生命の維持のためと、自分の成長開発発展のため、そして社会や人類のために還元することであろう。明治の偉人、後藤新平は、「金を残して死ぬのは下、仕事を残して死ぬのは中、人を残して死ぬのは上だ」といっている。

合気道が上手くなっても、ほとんどの人はそれで金儲けが出来ないどころか、出費が多くなるだろう。月謝、交通費、稽古仲間との付き合い、行事参加、書籍やビデオの購入など、けっこう金がかかる。稽古事にはお金がかかるものだ。本物を追求しようとしたり、深く入り込んでいくと、お金はそれなりに掛かる。しかし自分の好きなこと、やりたいことにお金を惜しむようでは、自分の成長や上達への折角の機会をなくしてしまうことになるだろう。

高齢者となって、株とかファンドなどで少しでも金を稼ごうと目の色をかえている人が増えているらしい。これからの人生は先がすぐ見えているのに、滑稽に思える。金があるなら更に儲けることを考えるより、使うことを考えた方がよい。行きたい処があれば行くのがよい、食べたいものがあれば食べるのがよい。後でなく、すぐやるべきだ。出来るうちにやらないと、まもなく体がいう事をきかなくなり、行きたい、食べたいなどの欲望もおきなくなってしまうだろう。

死ぬとき後悔しないように自分を開発し、自分に投資し、そして若者を啓蒙し、若者を育てたらよい。人を導くためには、まず自分がそれなりの経験と修練をし続けなければならない。その経験の豊かさや修練が正しければ、若者もついてくるだろうし、啓蒙もできるだろう。

高齢者の合気道は、まず自分を鍛え続ける。次に、こんどは自分だけの稽古ではなく、若者に刺激を与え、若者を啓蒙し育成していくよう気を配って、合気道の発展、いい国、いい世界をつくっていくお手伝いをしなければならない。人を残す「上」の死に方をしたいものだ。