【第655回】 服装を本当に楽しむのは

お陰様で今、服装を本当に楽しんでいる。
今までも、好きな服装をして、着ることも楽しんで来たつもりでいたが、それはお釈迦様の手の中にある孫悟空のようなものであったように思う。
仕事をしていた時も、海外との仕事の関係から、毎年、数回はヨーロッパに行き、よく背広や靴など好きなモノを買い、好きな時にそれを着ていた。自ら催ししたパーティや記者会見、仕事の関係者のパーティ、講演、企業や関係省庁や機関訪問などなどTPOで服装を変え、個人的に楽しんできた。
しかし、仕事から離れ、自由になった身でこの服装の事を思い返してみると、当時、服装を本当に自由に楽しんでいたとは思えなくなる。

仕事をしている時は、服装にも仕事社会の規制や制約があるので、その制約の中でしか、楽しめないことになる。いくら外資系であろうと、日本の仕事社会の規制や制約の影響は受けることになる。例えば、当時はノーネクタイでは、要人に会えなかったし、和服でもおかしかっただろう。

私が仕事していたドイツでも、日本ほどではないが、服装の規制や制約はあった。ブルーカラーとホワイトカラーの服装は出勤時から違っており、ホワイトカラー族はネクタイに背広、ブルーカラーはネクタイ無しの、ジャンバーなどのラフな上着であった。そして面白かったのは、仕事の無い週末、ホワイトカラーはノーネクタイ、ノー背広なのに、ブルーカラー族の多くが、ネクタイに背広で街に出、レストランや飲み屋で家族や友人・知人と食事やビールと会話を楽しんでいたのが印象的だった。40,50年前の話なので、今では変わっているかも知れない。

東京の街には多くの仕事を止めた高齢者が目立つ。しかし、残念なのは、その多くの高齢者の服装が、それ以上ラフに出来そうにないような服装をしていることである。着やすく、汚れにくく、経済性を重んじた、お洒落性や着る喜びが感じられない服装なのである。しかも、着ているモノ、一つ一つの違いはあるが、みんな同じ傾向にあるというのが気になるところである。

人は考え方、生き方、皆それぞれ違うはずである。仕事など、人の社会にある時は、多少、一律性、同質性を強いられるだろうが、仕事を止めれば、その規制の枠がはずれ、人間本来の自由を謳歌できるはずであるし、折角なので、すればいいと思う。
高齢者、超高齢者になれば、服装も自由にし、本当に服装も楽しむべきだと思う。何故、楽しまなければならないのか。それは間もなく、必ずお迎えがくるからである。それをしない事も、お迎えが来た時、後悔の一つになるはずだからである。あまり着られずにタンスの隅っこに残った衣類は、着て楽しんでくれなかった主人を恨むはずである。

自分の経済的範囲など出来る範囲と持てるセンスで服装も楽しめばいい。服装にお金を掛ける余裕がなくとも、或るものを利用したり、組み合わせれば楽しむことが出来る。パリの若い女性、パリジャンヌはセンスのいい服装をするのを知られているが、彼女たちはそれほど経済的に余裕があるわけではなく、いつも新しいモノを買うのではなく、手持ちのものに、スカーフなどの小物を新たに一点を加えて、センスのいい服装をすると聞いている。

年を取って、本当に自由に服装を楽しむということには、大事な意味があると思う。多くの高齢者は、服装などどうでもよく、好きでいいだろう、何でもいいだろうと思っているのだろう。確かに、服装は命に別状はないし、会社時代のように注意を受けることもない。
しかし、残り少なくなっていく時間しかない高齢者には、本当の自由が必要だと考える。その本当の自由から、服装も本当に自由に楽しめるはずである。

必要が無いのに、やる事が面白いのである。他からの、そして他のための必要ではなく、自らの自由意志による自分のための必要性でやるのである。この自由意志による必要性・規制が真の自由であると考える。

若者、特に若い女性は服装・ファッションを楽しんでいる。しかし、高齢者の目で見ると、一見、自由に服装を楽しんでいるようだが、多くの束縛が見える。例えば、流行という呪縛に縛られている。
年を取れば、流行などに規制される必要もない。着たいモノを着ればいい。自分が出来るだけ楽しめればいい。例えば、若者は和服を楽しむことは難しいが、年を取れば、いつでも和服を楽しむことができるだろう。

フランスに友達・知人が多くいるが、彼らの人の評価の基準は「個性」である。人と違う才能、考え方、生き方を評価する。オリジナリティが最重要なのである。若い内は本当のオリジナリティは出にくい。年を取ると、オリジナリティが出ると考えているようだ。フランスでは、オリジナリティに富んだ高齢者を沢山みているというより、高齢者のほとんどがオリジナリティを有しているといっていいだろう。服装も高価なモノではなくとも、長年着用しているなども大事にした、個性的な服装で生活を楽しんでいるように見える。フランス文化が世界で評価されるのには、ここにもあるように思う。日本も高齢者が、服装も本当に楽しみ、個性のある高齢者が増えていけばいいだろう。

自分が楽しんでいると周りも楽しくなる。菜っ葉服をみても楽しくないだろう。若者、女性は服装に敏感である。高齢者が服装を本当に楽しんで、年を取っても、服装の本当の楽しみができ、そして長寿を楽しむことができることを教えてあげたいものである。