【第649回】 日々変わること

東京の街中を歩いて、周りの人の顔を見ていると、人の顔が暗く沈んできているように見えて仕方がない。生きている喜びがあまり感じられないし、明日への希望が感じられない。そこへ行くと、親と一緒にいる小さな子供たちは、目を輝かせて周りを見回し、生きている喜びが発散され、こちらも嬉しくなる。
暗い顔をしている大人たちも、過ってはその小さな子供たちのように、その瞬間々々を喜んだり、驚いたりし、顔を輝かせて生きる事を楽しんでいたはずである。

何故、人から笑顔が消え、暗い顔つきになったのを考えてみると、最大の原因は「自分が変わらない事」にあるように思う。それに気が付かない人、気がついてもどうしていいかわからない人がいるだろう。
何故、人は変わらないと満足できず、いい顔にもなれないか等ということを言うと、それは合気道からの学びである。合気道の稽古でも、自分が変わっていかなければ、満足した顔にならないし、その内、それがつのって稽古を辞めることになるからである。
合気道では、合気道は日々変わらなければならないと教わっている。宇宙が180億年以来、生成化育しながら変わっているからである。変わることが宇宙の法則であり、自然ということなので、変わらない事は不自然で、宇宙の法則に反することになるからである。

それでは変わるとはどういうことかを考えてみる。
人が変わるとは、まず、新たな体験や発見をすることである。これは感動になり、明日が楽しみになる。 子供・幼児はその典型だろう。これが子供の成長という変化ということだろう。
 
次に、周り・環境が変わる、変えることによって変わることである。例えば、高価な家や車を買ったり、豪華な衣服などで変わろうとすることである。しかし、これは自分が変わったとの錯覚で、自分本人は本質的に変わっていないことは云うまでもない。
実は、これが現代の問題である。つまり、見えるモノを追うところの物質科学に生きていて、このモノ主体の中で自分を何とか変えたいと思っている人が多いと見ている。モノでも少しは己を変える事は出来るだろうが、喜びは小さいはずである。何故ならば、金持ちと云われる人の顔を見ればそれが分かるだろう。幼児や恋人同士の輝く顔と比べれば一目瞭然だろう。
自分自身が変わらなければならないわけである。その為には、合気道の教えにあるように、見えるモノ(魄)を求めるのではなく、見えないモノに挑戦する精神科学の探究をしていくことである。ここからの喜びが大であり、他のどんなモノより嬉しく、満足できる。そして生きているという実感が持てるものである。他の嫌な事やモノはあまり気にならなくなるはずである。具体的に云えば、知らなかった事を知る、出来なかった事が出來る等である。合気道の稽古で、新しい技、つまり法則を見つけたときの喜びは、他に比較できないほどの喜びである。

日々変わることのできるのは見えないモノであり、見えるモノに因るのではない。

そこで変われない原因は何かを考えてみると、

それでは変わるためにどうすればいいのか。 日々変わることによって、合気道の修業の楽しさ、生きる素晴らしさが実感できと考えている。そしてこれを後進達や若者に伝えていきたいと考えている。人生最大の悲劇は、日々変わらない事と云っていいだろう。