【第647回】 人世の集大成

50数年前に合気道に入門し、道場に通うと、特に3時からの時間には高齢者が何人かおられた。稽古後、時々大先生とも道場で車座になって楽しそうに談笑されておられた。こちらがまだ学生だったし、ほとんどの方は先輩であったので、そう感じたのかしらないが、お目に掛かった高齢者の方々はどっしりとした威厳のようなものを感じた。力もあったし、二教などではがっちり極められたり、諸手取の呼吸法などちょちょいがちょいと投げられてしまった。また、自主稽古ではよく、投げてもらい、受けを覚えた。

当時の道場におられた高齢者は何か威厳があったし、若者などまだまだ何も知らない青二才だと思って接していたようで、今とは大違いである。
そこで何故、当時の高齢者(といっても50,60才だったのだろう)は1.貫禄があったのか、2.そして今の高齢者は何故貫禄がなく、若者に尊敬されないのか、3.そしてまた、どうすれば高齢者が尊敬されるようになるのかを研究したいと思う。

  1. まず、当時の合気道をされていた高齢者の威厳の件であるが、それはその高齢者たちは戦争を体験していたことである。命を懸けて戦ってきたのである。人の厳しさは、どれだけ死に近づいた経験をするかによると考えるから、戦争体験からその厳しさが出てきたはずである。そしてその厳しい体験と合気道がひとつになり、結んで、厳しい合気道になったと考えている。
  2. それに引きかえ、今の高齢者は、学校や会社でいろいろなことをするが、その一つ一つがバラバラで、学校や会社世界を離れると、バラバラのままで、自分と繋がらない。一生懸命に勉強し働いた割に空虚(不満足)なのである。
    何故自分と繋がってくれないのかというと、大体は自分の好きでも無いことをやってきたためと思う。本当に好きな事だったら、定年になろうが、高齢者になろうが、一つにつながり、離れることはないはずである。
    また、昔の高齢者は自分の事をよく知っていたと思う。食べることも十分できなかったし、医者にもそう簡単にはかかれなかったこともあるが、病気の事、病気にならないために注意する事、病気になったらどうすればいいのか、また、その為にも、何をどう食べればいいのかなどの知恵を持つ知恵者であったと思う。
    そして己の体の事を熟知し、そして己の体を信用していたように思う。多少の怪我など、気にもしないし、その内に自然と直ると思っていた。引っかいたりして血を出させて恐縮している者に、血はすぐに止まるから全然問題ないと平気の平左であったのを見ていると、高齢者のすばらしさが見える。
  3. そして3つ目の課題である。今の高齢者は戦争体験もないので、半世紀前とは違うので、何か生き方を変える必要があると思う。何故変えるかと言うと、他人に対する威厳という以前の問題である。つまり、自分が満足できる人生を送るためである。只、寝起きして、飯を食べて、息を吸っているだけでは、人は決して満足できないはずである。それは顔や姿に見える。
それではどうすればいいのかということである。そんなことは各自考えればいいことだが、お節介ながら自分の考えを書く。
一言で言えば、高齢者は人生の集大成をすることである。これまでバラバラにやってきた多種多様のことを一つにまとめていくことである。

合気道においても、このバラバラ問題があり、どのようにすればいいのかを「合気道の上達の秘訣 『第648回 バラバラにやって来た事をひとつに』」に書いたので参照して欲しい。

バラバラのままでまとめられないのが、今の高齢者の問題だと思う。
高齢者が、自分がやってきたバラバラなモノを一つにまとめて集大成することによって、生きてきた実感を味わうことができるし、その結果、威厳が滲み出て来て若者に尊敬されるようにもなると考えている。世間で評価される高齢者は、一つのモノに集大成しているのである。
難しいようならば、合気道を習って、上記の文章を参考にして集大成を図ればいいだろう。

尚、お節介であるが、いずれ高齢者になる今の若者たちにも人生の集大成をするように、今からやりたい事を見つけ、やるべき事に挑戦していくことをお勧めしておく。次の若者に軽蔑されないため、己の人生に満足するため。