【第642回】 着ること

高齢者になると、仕事に通う必要もなくなり、身なりは気にしなくなりがちだ。着るモノは段々と簡素化され、動きやすく、汚れが目につきにくく、そして安価なものになっていく傾向にあるようだ。家の近所では、家で着ているジャージーの運動着のようなもので歩き回り、町に出る時は、野球帽のような帽子にベイジュ色のシャツとズボン、その上に釣りに行くような袖なしのジャケットを羽織り、運動靴で、リュックサックを背負って歩いている。これが高齢者の典型的な服装のパターンだろう。

会社にも行かないし、人にも合わないから等という理由と、いずれもうすぐお迎えもくることなので新しい衣服を買うのはもったいないとか、意味がないと思っているようだ。
勿論、経済的に衣服を買う余裕のない方もいらっしゃるだろう。しかし、身なりに気をつかうとは、新しく買う事だけではない。手持ちの衣類の組み合わせや、一寸した小物を揃えることによって、しゃれた服装になるはずである。つまり、先述の一見してわかる、高齢者の典型的な服装は、経済的な事と関係なく、服装に気をつかっていないということだと思う。

俺はそれでも、服装に気は使っている、という人もいるだろう。帽子は有名な○○のブランドだし、靴はナイキ等‥である。確かに、それはそれで気をつかっていいと思うが、もう一つ上の段階の服装になって欲しいと思っている。

高齢者の着るということは、長年生きてきた人生の集大成を表わすモノ、つまりその人の個性が出るものでなければ面白くないと思っている。服装を見れば、その人の歩んで来たこと、また、その人の考えや思想が現れるものであってほしいと思っている。

高齢者は先が短いからこそ、時を大事にし、残りの生きる事を大事にしたいものだと思っているのである。生きる基本は、衣食住である。この内の「衣」も大事にしたいと思うのである。
人はそれぞれ歩んで来た道が違うから、個性も違う。個性が違えば、好みも違うし、着るものも違ってくるはずである。
高齢者がそれぞれ違った好みのモノを着たら面白いだろう。個性を主張し合うものを着て、長年働き、生きてきた証しの一端がこの着ているもの、着方にあると主張するのである。これを若者が見れば、年を取ることへの躊躇や不安は薄らぎ、俺も高齢者になって、自分を表現できる個性的なものが着れるように、頑張ろうと思ってくれるかも知れない。若者に年を取ることを楽しみにさせることは高齢者の役割であろう。

若い内は着るモノに助けられる。本人よりも着ているモノの方が目立つものだ。
年を取ったら、着るモノが着ている人(個性)を引き立ててくれ、その人の人生を表わしてくれるようになりたいものと思っているところである。