【第638回】 合気道って何?

合気道を長年修業し、年を取ってきたお蔭で、合気道というものが少し分かってきた。少なくとも合気道とは何かを人に聞かれても、答える事ができるようになってきた。

若い頃は、合気道の稽古をし始めると、鼻高々に俺は合気道をやっているのだぞと他人に自慢したくてうずうずしたものだ。しかし、自慢したい合気道とは何かと訊ねられると、はて、何だろうと考えるばかりで、説明することも、合気道の素晴らしさの片鱗さへ言う事ができなかった。精々、柔道や空手のような武道であるとか、二教裏をちょっと掛けて、合気道の技は凄いんだぞと示すぐらいなものであった。これは誰もが経験しているはずである。
しかし、合気道を知らない人には、こんなものが合気道なのかと、鼻でせせら笑われるのが落ちと云うところである。

合気道の修業を半世紀以上続け、年も80才に近づいたせいだと思うが、合気道を知らない人にも、合気道とは何か、合気道の素晴らしさ等を話すことが出来るようになったと思う。それは日本人に対してだけではなく、外国人に対しても同じである。

一般の武道を知らない人は、合気道も空手や柔道のように人を倒し、殲滅することを学ぶものと思っているように思う。だから、合気道も他の武道同様に野蛮と思ったり、現代社会には不必要なものと思っているように思える。

若い頃の稽古は、稽古の相手を倒すための力に頼った稽古であった。魄の稽古であり、物質次元の世界での稽古をしていたわけだから、合気道を説明するといっても、その世界の合気道しか説明できなかったわけである。つまり、魄の稽古をしている限り、相手を納得させる「合気道って何?」の説明はできないということなのである。

年を取るにつれて、若い頃は理解できなかった大先生のお言葉が段々と理解できるようになり、大先生の合気道に対するお考えやお気持ちがわかりはじめた。
大先生は、合気道の修業の目標は宇宙との一体化であるといわれている。
合気道の稽古は、技の錬磨で上達する。その錬磨する技は、宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則に則っているので、その技を身につけることによって宇宙が入り、そして一体化していくわけである。
最終目標の宇宙との一体化のために、先ずは相対稽古での相手との一体化を稽古するわけである。それが出来てくれば、道場以外との人との一体化、そして鳥獣草木など自然との一体化へと進み、最後は宇宙との一体化をするわけである。
これは己のための小乗の合気道ということになるだろう。小乗の合気道は他人にはそれほど興味がないものである。

合気道の真の目標は、他人、人類、地球、宇宙のためになるような大乗の稽古をすることである。
大先生は、合気道は宇宙楽園、地球天国を建設するという宇宙の心であり、その生成化育をお手伝いするものでなければならないと言われているのである。地球が、宇宙が少しでも楽園・天国完成に近づくようにお手伝いすることが、合気道の使命であり、合気道家の使命なのである。

このような話をすれば、合気道の大枠が説明でき、分かってもらえるものである。
更に、合気道に興味をもってもらいたいなら、次のような説明もできるだろう。
人の身体は宇宙がつくり、宇宙と同じ働きができるようにできている。宇宙は陰陽(伊邪那岐、伊邪那美)と十字(天地の呼吸、地の呼吸等)で出来て営んでいるが、人も同じであり、合気道の技も陰陽十字でつかわなければ上手く掛からないのである。例えば、手の関節が十字で動くようにできていることは、どこでもすぐに示すことができるから、合気道を知らない人でも興味をもってくれるはずである。
その他、イクム(スビ)の呼吸での柔軟運動も合気道をやらないと気が付かないものなので、誰でも興味を示すはずである。

更に、合気道の哲学は、合気道を知らない人の目を開くと思う。例えば、物質科学と精神科学のアンバランスが、今の世の中を乱したり、戦争の基になっているから、物資科学を基にして、その上に精神科学がきて、精神科学で物質科学を導くようにしなければならないと。具体的に、モノ優先ではなく、心がモノに優先する人と社会にならなければならないということである。

また、この「心」と関連して、見える世界だけを信じるのではなく、見えない世界があることを信じることである。
これらは、すべて合気道の教えであり、技の錬磨で大切な事である。
これらのことを話せば、「合気道って何?」に答えられるはずである。

最後に結論づけると、「合気道って何?」に答えるためには、魄の見える次元での稽古を出て、見えない世界・次元の稽古をしなければならないということになるだろう。