【第620回】 若くいたいなら最後まで挑戦し続ける

人は高齢になると少しでも若くいたいと思うようだ。特に女性はその傾向が強いように思える。
若くいたいとの「若い」とは、一般的には肉体的な若さであるようだ。そのために運動をしたり、マッサージをしたり、化粧をしたり、お洒落をしたり、サプリメントを服用したりする。
しかし、若さには肉体的な若さのほかに、精神的な若さがあると思う。精神的な若さとは、子供や幼児のような単純な自然の若さではなく、合気道的に表現してみれば、宇宙の営みの中に入って楽しみ、宇宙創造神の意志に従い、一体化する、至純、無欲になる、前の若さが人的若さであるのに対し、宇宙的若さだと考える。実際、このような境地になれば、人はそれを望まなくとも若くいるようになると思う。

先日、山口蓬春(写真)という画家のテレビ番組を見ていたが、合気道を修業する上で非常に勉強になったし、人は若くいようと思うなら、彼のように最後まで緒戦し続けなければならないとの教えて貰った。

蓬春の絵は常に新鮮で、若々しく、年を取らないようだと言われるが、彼は、72才になっても、「心の中の未開拓の部分に、鍬(くわ)を入れていかなければならない」と言っている。つまり、心の中にはまだまだ開拓しなければ部分があるから、それを開拓するのである。この開拓し続けることは、変化することであり、若くいることになるわけである。変化することが若さにつながるわけである。

蓬春は太平洋戦争で自分の描きたい絵を描くことができなかったが、戦争が終わったら描こうと思う絵を研究し、温めてきた。それは19世紀末に活躍した、スイスのホドラーで、彼は日常から離れた、精神性の高い絵を描いた。
蓬春は、「かねてから明朗で潤然とひらけた、そしてまた総体的に近代的な色調を持つ自然界の一部を表現したいと考えていた。」と言っている。
彼はどんなに苦境にあっても、また、評価される絵を描いても、決してそこに留まることをよしとせずに、常に未開拓の部分に鍬を入れ続けていたのである。

蓬春の絵は、初めは見た儘を描き、次に感じた儘を描き、そして今(最後)は本質を描くのだといっていた。
合気道で云えば、初めは形を覚え、形を、教えられたようにできるだけ正確につかう稽古をする。次に、それを土台にして己の体と心が欲するように稽古をする。そして、最後に本質を稽古しなければならないということである。
本質の稽古とは、宇宙の営みを身につけ、宇宙と一体化していく稽古ということになるはずである。宇宙楽園建設の生成化育のお手伝いである。

この本質の稽古をしていくことが、若くいられる要件であると考える。この本質の稽古には終わりがないから、続けるだけである。
最後までお若くおられた、合気道開祖の植芝盛平翁を思い起こせばいい。