【第616回】 和服と合気道

若い頃はほとんど洋服で過ごしてきた。学校でも職場でも、和服では活動できにくいこともあるだろうが、社会は洋服を前提にした環境や機能にしているから、誰も和服でなど考えないようだ。
年を取って和服を着るようになると、和服文化のすばらしさや有難さが分かってくる。

考えてみれば、多くの日本文化は和服の時代に出来上がったはずである。茶道や書道、剣道、柔術、そして合気道も和服の文化が基にあると考える。もし、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代に着物ではなく西洋の洋服を着用していたとしたら、合気道を含む日本文化は生まれなかったと考える。合気道をつくられた開祖植芝盛平翁が背広で生活されていたとしたら、合気道は生まれなかったはずである。

和服には日本文化や合気道を生み出す何かがあったと考える。和服を着るようになると、それが少しずつわかってくる。これが私にとっての着物を着る最大の楽しみである。
合気道の稽古は稽古着を着て、袴を履くから和装であり、これが素晴らしい。もし、スポーツのようにトレパンやTシャツなどで稽古をするとしたら、武道の稽古にはならないはずである。洋装になると腕力や体力やスピード等に頼る魄の稽古になるはずである。

合気道の一つの問題は、道場の外での日常生活は洋装で、稽古で和装になるわけで、洋装での体づかい、気持ちが道場の稽古にもたらせることである。つまり、切り替えが難しいわけである。
着物を着るとわかるが、着物を着た時は洋服を着ている時と気持ちが変わり、ゆったりとし、急がず慌てなくなる。洋服を着ていると、人を追い越したり、点滅し始めている信号を急いで渡ろうとしたり、曲がろうとしている車の前を横切ったりしがちであるが、着物を着ると心に余裕ができ、待つことや譲ることができるようになる。

着物を着ていると、合気道の基本となる体のつかいかたの原点がここにあるとも思えるのである。
例えば、「ナンバ歩法」である。着物はナンバで歩くようにできている。ナンバで歩かないと着崩れしてしまう。そしてナンバで歩くためには、股関節が柔軟に動かなければならない。腰で歩くことになる。足は腰腹に従い、腰腹の下に着地するわけである。合気道の技をつかうためのルールである、腰、足、手の順に体を使う事をやっているわけである。

更に、着物を着ると、体を捻ることは難しい。合気道の技づかいでも体の捻りはご法度であるから、着物を着ていれば、技づかいの際も体の捻りがなくなるだろう。

着物の最大のポイントは帯で腰腹をしっかり締め付けることだろう。帯で腰腹をしっかり締めているので、腹に力は入るし、腹から力が出せるのである。
洋服のあの細いバンドでは、そのような力を入れることも出すこともできない。

着物を着る場合、肩に着物を掛けたら、まず、袖に肘から通し、そして腕、最後に手先を通す。つまり、体の中心部から、末端部に体をつかうということであり、合気道の体づかいの基本である。因みに洋服は手先の末端から袖を通す。

着物を着て外を歩く場合雪駄や草履を履く。西洋の靴は、足の甲全体で靴を持ち上げるが、和風の履物は鼻緒を中心とする親指と他の4本の指だろう。
また、合気道の足づかいは撞木足である。前足から下ろした延長線が後ろ足の面の真ん中に当たり、十字になることである。この線をつくるのが鼻緒の部位と踵であると考える。

このように和服からはいろいろと教えて貰えるわけだから、機会をつくって和服になり、合気道が出来た頃の先人たちの心を探すのもいいのではないだろうか。