【第612回】 同じを追求
最近、不可解な社会現象を目にして、その原因は何なのか考えていたが、その答えが見つかった。と自分では思っている。
電車に乗ると、座席に座っている人の8割、9割はスマホとの睨めっこである。地方や外国がどうなっているのか分からないが、その傾向はどこにもあるような気がする。
でも、みんながみんな何故同じことをするのか不可解であったし、腹も立っていたが、その答えがわかり、腹立ちも多少収まった。
さて、その答えであるが、最近出版された『遺産』(養老猛司著)の中にあったのである。著書の養老東大名誉教授は解剖学者であり、著書も多く、何冊かを読んでいる。この本の題名に『遺産』とあるが、80才にして本人が我々後進に残しておきたい、知っていてほしいと切に願う事柄を、「遺言」として書いたのだと思う。だからか、これまでの書物より、ずしっとくるものがある。
さて、スマホの回答である。本の文章を引用しながら進めていくことにする。「 」は引用文である。この引用文を見るだけで、スマホの回答が出るはずである。少なくとも私はそうだった。
- 「人の意識の特徴が、“同じだとするはたらき”であり、それで言葉が説明でき、お金が説明でき、民主主義社会の平等が説明できる。」:
つまり、人は人や周りと同じになろうとするという意識、心をもっているということである。周りがスマホを持てば自分も持とうとし、周りがスマホを見ていれば自分も見るわけである。同じにしないと不安になったり、心が乱されるわけである。
- 「現代人はひたすら“同じ”を追求してきた。最初に生じたのは、身の回りに恒常的な環境を作ることである。部屋の中に入れば、いまでは終日明るさは変化しない。風は吹かない。温度は同じである。屋外に出れば、それが都市環境となる。都内の小学校の校庭はひたすら舗装される。…安全だとか、便利だとか、清潔だとか、その時々で適当な理由付けをする。でも一歩引いて見れば、やっていることは明らかである。感覚所与を限定し、意味と直結させ、あとは遮断する。世界を同じにしているのである。」
家の中も屋外も、そして世界も“同じ”になってきているわけである。そしてスマホで恒常的な環境をつくっているわけである。そしてまた、外界からの刺激、外界の変化を遮断しているのである。
- 「現代生活は感覚が働かないように、できるだけ努める。そんな意図はもちろん誰にもない。でもたとえば丸の内のオフィスにいたとする。風は吹かない。雨が降らない。エアコンがあるから、温度は一定。臭いは当然ない。床は平坦で、堅さはどこも同じ。代わりにオフィスではなく、山の中を歩いてごらんなさい。地面はデロボコ、木の根や草がある。雨が降ったらぬかるむ。風が吹き、いつの間にか日が傾き、明るさが変化する。つまり、都市の生活は、そうした感覚入力をできるだけ遮断する。」:
スマホもこの感覚入力をできるだけ遮断するものであり、そのために普及しているということであろう。
まだまだ引用する文はあるようだが、これだけでも、何故スマホが氾濫し、そして世界が同じを追求していくのかの回答になるのではないだろうか。
参考・引用文献 『遺産』(養老猛司著 新潮新書
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