【第610回】 禊ぎが必要

開祖は、合気道は禊であるとよく言われていた。当時、これをお聞きした時は、よく分からなかったし、何故、そのような事を我々稽古人達に言われたのか、よく分からなかった。ただ、稽古をやれば汗をかくから、そのことが禊ぎというのだろうと決め、それでよしとしていた。
しかし、最近になって、ようやく開祖が言われた「禊ぎ」の重要性と必要性がわかってきたようである。これも年を取ってきたお蔭だろう。 

合気道の技は、体と心のカスを取る禊ぎであるといわれるように、合気道で技の稽古をするのは、体と心に溜まったカスを取り去ることであり、これが禊ぎであるということであろう。
カスとは、余分なモノで、取り除かなければならないモノである。余分ということは、地球楽園建設のためへの体と心、肉体と精神に邪魔をするものということになろう。例えば、余分な水分や脂肪、血を汚しているモノなど健康を害するモノ、また、闘争心、破壊や邪悪な心、強欲や独りよがりの心等々である。

当時、何故、開祖が頻繁に合気は禊であると言われていたのかを考えると、開祖としては当時、我々稽古人が、特に先輩・先人の稽古人が禊ぎを必要とする稽古をしていたからだと思う。当時は、所謂、力による魄の稽古が盛んで、何とか相手を倒すべく、決めるべくを目標に稽古をしていたし、強ければいいという風潮だったからと思う。その戒めのために、開祖はそれを言わざるを得なかったのではないかと思う。確かに、当時の先生方も先輩も強かったし、我々もそうなりたいと稽古していた。

今頃になってわかってくるのだが、力、魄の稽古は若い頃はいいだろうし、必要と思うが、年を取ってくれば、力の稽古は徐々にできなくなってくる。しかし、年を取ってくるからと言って、修業を続けているかぎり精進、上達しなければならない。

それでは、力、魄に頼らない稽古をするにはどうすればいいのかということになる。
その答えの一つが「禊ぎ」の合気にすることである。これまで培ったモノを土台にして、稽古を続けて行くわけだが、必要なものは残し、不必要なモノをカスとして取り除いていくのである。体と心のカスを取り除くのである。合気道の目標に必要ないモノ、合気の道に反するものを省いていくのである。形稽古の技においても、要らないモノを除いていくのである。

一度身につけたモノを、取り除くのは非常に難しいものである。新しいモノを身に着けるより、2倍も3倍も難しいはずである。
しかし、カスを取り除いていかないと、必要な新しいモノは入ってこないものである。カスを捨てずに溜めすぎると、身動きが取れなくなり、上達も難しくなり、にっちもさっちもいかなくなり、後は引退ということになる。

これは現代の一般的な問題でもあるようだ。不必要なものを詰めこみ過ぎて、カスが溜まり過ぎ、身動きが取れない状況にあるように見える。何でも捨てずにため込み、取り込もうとするから、それらに体も心も支配され、何が大事なのかが分からなくなってしまっているし、体を壊したり、心を病んだりしているのだと思う。

「今の世は、大いなる迷信に陥って、自分を忘れている」と開祖は云われている。また、「合気道を修業して、つまり、禊をして、忘れていた自己を知ることが出来る」と言われているのである。
合気道でも、一般社会でも「禊ぎ」が必要なのである。