【第603回】 賢くするのは未来に対する期待

合気道を半世紀以上稽古してきた。いつまで、あと何年続けられるかわからないが、出来るだけ長く続けたいものだと思っている。何故、出来るだけ長く稽古したいかと云うと、日々変わっていく自分と技が、最後にどう変わっているかを知りたいからであり、残りの稽古できる日数が長ければ長いほど変わっているはずだからである。

もし稽古をしていて変わらなければ、未来も変わらないだろうから、稽古を少しでも長く続けたいという希望はそれほど大きくないはずである。だから何か問題が起これば、稽古を止めてしまうことになるのだろう。
従って、ただ稽古を続けるだけでは不十分であり、少しずつでも変わっていき、進歩していくようにしなければならない。

変わること、進歩には、量的なものと質的なものがあるだろう。この量的なものと質的なものが絡み合って変わっていくはずである。量的な変化は予想がつくが、質的な変化は予想がつかない。この予想がつかない未来の変化こそ真の楽しみだと思う。自分の今わからないことがわかり、今できないことができるようになり、今まだ見えないモノが見えるのである。

そのためには勉強が必要になる。合気道における勉強は、技の錬磨と宇宙を知ることであろう。宇宙を知ることは己自身を知ることでもある。自然の森羅万象から、万有万物から教えを受けていかなければならない。賢くなっていかなければならない。賢くなるのは頭だけではない。精神(心)、肉体、技も賢くならなければならない。

ノーベル文学賞を1925年に受賞し、「マイ・フェア・レディ」の原作者でもあるジョージ・バーナード。ショーが、「人間を賢くするのは経験ではなく、未来に対する期待だ。期待を持つ人間は何才になっても勉強する」(日刊工業新聞『産業春秋』2017.10.6)と云っている。

自分の合気道の未来に期待すること、そしてそのために何才になっても勉強を続けることが、合気道のために、そして己自身のために賢くなるということになるだろう。