【第602回】 地上天国を目指して

戦争に負けて、ろくに食べることもできなかった日本は、今や飽食といわれるような国になった。豊かになった。多くの国民の夢は叶えられるようになり、欲しいモノは車でも家でも持てるようになった。
世界の先進国と云われる国々も同様に豊かになったし、発展途上にある国々も豊かな国、豊かな生活を目指している。ここでいう豊かとは、モノ、物質的な豊かさを指す。

人は豊かになれば幸せになれると信じ、豊かになろうとする。敗戦した日本もそうだったし、日本の他の時代・時期、また、どこの国や地域でもそう信じてきたはずである。
しかしながら、人間や国が物質的に豊かになると、これまでなかったような、それに替わる問題が出てくる。

豊かな社会で、豊かでない人が問題を起こすのは、誰でも理解できるだろうし、不思議ではない。問題は、豊かになった人に問題があることである。十分なお金があり、衣食住は満たされているような人達が、真から生きている事に感動し、喜びを感じているとは見えないことである。
親といる幼児がその瞬間を精一杯楽しんで幸せに生きているのに比べ、豊かであるはずの大人も若者に、何か陰があるように見えるのである。

その理由を考えてみると、どんなに豊かになっても、真の喜び、生きる事、生きている事への真の喜びを持てないからだと思う。仕事やお金や名誉だけでは、人は真の喜びを持つことはできないということだろう。
確かに、モノやお金は大事である。生きる上での基礎だからである。合気道でも、生きる土台である経済は大事であると教えている。

しかし、合気道では、物事は表(魂)と裏(魄)の表裏一体であり、しかも表の魂が裏の魄を先導しなければならないと教えられている。つまり、モノだけでは生きることは出来ず、心・精神(魂)が伴い、そして心・精神でモノをつかわなければならないということである。成金主義が軽蔑されるのはこのためであろう。

更に、もう一つ大事な事がわかっていないために、豊かな人も真の喜びが得られないのだと考える。それは何かというと、それも合気道の教えの中にあることである。
その大事な事とは、人がこの世に姿を現わし、生きているのは、地球天国を建設するお手伝いをするためなのである。少しでもいい地球にし、地球を天国にしていくお手伝いをするために、人は生き、勉強をし、働き、子供を育て、後進を育てるのである。

胸に手を当ててよく考えれば誰でもわかるはずである。人は無意識にではあるが、そのように生きているだろう。地球天国に近づくための仕事や行為を人は評価する。ノーベル賞、オリンピック、子育て、親切、善幸などを評価しているのはそのためである。
逆に、地球天国建設を邪魔したり、壊したり、逆らえば悪であり、罪となるだろう。

人は誰でも、地球天国建設に携わっている。各人各様に役割を持って関わっている。その役割を使命と云う。
真の喜びを持って生きるためには、自分は地球天国建設のお手伝いをしているのだということ、つまり、自分は地球を若干ではあるが、天国に近づけたと思うことである。そしてそのためには、自分の使命を果たす努力をすることである。

まわりの人を、みんな地球天国建設のお手伝いをしているのだと見れば、みんな仲間であり、同朋に見えるはずである。彼らを見る目は変わり、他人を敵とか競争相手と敵視したり、疑いの目で見ることはなくなるはずである。

争いが絶えない国、人間不信の社会を良くするのは、この合気道の教えにあると考えている。