【第600回】 教える事

年を取って来てわかってくることがある。年を取るということは、長く生きてきたことであり、経験を積むことである。それが生まれた時から、今の自分と一本の線となっている。そしてその線の先がそれほど長くない事にも気づいてくる。

合気道においても、年を取ってはじめて解る事もある。若い頃の稽古は、体力や力や勢いに頼る物質的稽古、つまり、見えるものに頼った、魄の稽古であったし、相手に負けまいとしたり、相手を倒すという相対的な稽古であった。また、自分と自分の合気道に過剰な自信をもっていた。
年を取ってくると、それが心の稽古、和合の稽古になり、己の未熟をつくづく知ることになる。

50数年稽古をし、自分の鍛練を心掛けているが、少しだけ人に教えてもいる。教えていた、教えているのは主にフランスとドイツ。
ドイツに行ったのが1966年であったが、スポーツクラブに道場をつくって合気道を教え始めた。その時、5年で2段をもらっており、受け身は結構取れて自信があったが、相手を導いて技を掛けることはほとんど出来ず、どう教えようかとはじめは悩んだ。しかし、まだ、日本でも合気道はほとんど知られていなかったぐらいだから、ドイツでもほとんどの人は合気道がどういうものか知らなかったので、基本の形を示し、それを稽古した。形にみんな満足してくれたので、なるべく基本技を正確(自己流にならないよう)に教えることに努めた。そしてまた、先生面しないで、生徒と共に精進しようと稽古を続けた。

7年弱のドイツ滞在を切り上げ日本に帰り、また、本部道場で稽古を再開した。そして今度は仕事の関係で年数回ドイツに行くことになったので、その都度ドイツとフランスで2,3日、知人の道場で教えた。この頃教えていたのも、自分の得意な基本の形を中心にしたものだった。
だが、大きい相手を倒すわけだが、形で倒すので上手くいかなかったり、また、自分自身でも何か納得できなかった。それがどうしてなのか、どうすればいいのかは分からないままだった。これが10年ぐらい前まで続いたのである。

10年ほど前から、有川先生の教えのお蔭で、形から技の稽古になり、宇宙の法則を見つけ、身につける稽古に変わってきた。そして、フランスの講習会では、形もどきから技を教える稽古にかわった。そこで分かってきたことは、彼らが期待している稽古は、形ではなく、技であるということである。技とは宇宙の営みを形にしたもので、宇宙の法則に則ったものである等ということであり、これまで書いてきたものである。

合気道の基本の形はそれほど多くないし、ドイツやフランスなどの外国の道場でも50年、60年も稽古を続けていれば、大体の稽古人は基本の形は知っていることになる。
だから、折角招待してくれるのに形の稽古(含む、応用技)では、彼らは満足してくれないはずである。

宇宙の営みを形にした技ができるとしたら、それは今のところは日本人であろうと考える。合気道を創られた開祖と開祖に直接・関節的に接したり、そして開祖の道話を記した『合気神髄』『武産合気』の難解な日本語を理解する可能性が大だからである。日本人にも難解なこれらの聖典を外国人が理解するには、今のところ不可能であると思うし、理解するにはもう少し時間が掛かると思う。それは50年以上稽古を続け、開祖から教えを受けた私自身が、その聖典を10年読み続けていても、こんな程度であるから分かるのである。それもここまで理解できた理由の多くは、開祖の道話を直接お聞きすることができたからであり、そして日本語が解る日本人だからである。

海外に合気道の道場がどんどん増えており、日本から先生を呼んで学ぼうとしているが、彼らは形(形もどき)に期待しているのではない。形以上のもの、例えば、技に満たされた形(形=技)を稽古したいのである。そのためには、『合気神髄』『武産合気』の聖典を勉強し、合気道とは何か、稽古の目標は何か等、原点に戻って再考しなければならないだろう。
さもないと、日本人の先生から学ぶ意味はなくなり、日本人の先生はもう必要ないということになるのではないだろうか。