【第594回】 急がず、継続する

若い頃、取り分け学生時代は稽古をよくやった。毎日、一日2時間、いい先輩が見えると更に一時間。休み時間の自由時間も稽古をした。道場を遊ばせておくのはもったいない、道場に失礼だと先輩がいっていたから、仲間と一緒に飛び跳ねていた。
道場では張り切って投げたり、受けを取り合って稽古しているが、道場を出ると急に疲れが出て、足が進まなくなり、休み休み帰ったものだ。
当時は、そのような稽古をすると、今日はいい稽古をしたと満足したものだった。
その次に満足した稽古は、稽古で何人に息を上がらせて休ませたかであった。技など満足にできなかったが、速い動きと素早い受け身で相手に息を上がらせていたのである。毎回、2,3人には息を上がらせて、休ませた。今は申し訳ないことをしたと反省しているが、当時はそれを仲間と自慢し合ったものだ。

当時若い頃は、考えたり、悩んだり、頭を使う稽古ではなく、肉体オンリーの稽古であった。稽古相手のことを考えることもなく、周りの稽古人のことも考えない稽古をしていたのである。
若い頃は生命力(エネルギー)が溜まっていて、無意識でそれを稽古で処理しようとしていたのだろう。

しかし、あれから50年経つと、もうそのような稽古はできないし、そしてやろうとも思わない。
年を取ってくると、若い頃つかわなかった頭と心をつかうようになるが、逆に体をつかわないようになってくる。
合気道が上達するためには、年を取っても、体も鍛えなければならないわけだが、どのような鍛え方、稽古をすればいいのかを研究してみたいと思う。

まず、稽古は若い頃のように、一日で2時間も3時間もできないから、一時間の道場稽古でいいと思う。その上、一時間の稽古でも若い頃のように、初めから最後まで全力疾走はできない。しかし、そうかといって初めから最後までだらだら、気を抜いてのんびりやっていたのでは上達はない。
それではどうするかというと、一時間の稽古の内、これはというところで約2〜3分間全力投球するのである。気持ちを入れ出来る限りの体づかい、息づかいで技をつかうのである。後は、技を研究したり、己の体のつかい方、息のつかい方、相手の心や動きの観察など勉強するのである。しかし、大事な事は、何時でも全力投球できる態勢に置くという、心と体の準備を怠らない事である。

また、若い頃のように、技を上手くなろうと急がない事である。相手を投げることに一生懸命になったり、一度に沢山やろうとしないことである。
しかし、一度の稽古で何か一つ、新しい発見をしたり、いままで出来なかったことが出来たり、解らなかったことが解ったりしなければならない。小さなこと、些細と思われる事でもいい。後でそれが大きく化けるはずである。年を取ってきたら、薄紙一枚の進歩の積み重ねの稽古になる。そのためには継続が必須になる。

若い頃は、先輩や同輩に負けないようとか、追いつこう、追い越そうと稽古をしたが、年を取ってきたら、競争相手は己自身となる。自分自身との戦いにならなければならない。技が上達するのも、怪我や病気になるのも自分自身によるのである。自分に打ち勝つように、己に負けないように稽古をしなければならないのである。

いろいろ書いたが、高齢者の稽古は、急がず、一度に沢山のことをやろうとせず、毎日、少しずつ何かを見つけたり、身につけるを継続することであろうと思う。