【第585回】 103才の秘訣

長寿国日本には100歳以上の高齢者が6万5692人いる。(2016年9月の厚生労働省の調査)。また、世界では、100歳以上の高齢者は31万6600人(国連推計、2012年)いるという。
以前は100才まで長生きしたいとは思わなかったが、合気道を研究している内に、少しでも長生きして研究を深めなければならないと思うようになった。合気道では、50,60才(現在に換算すると、60,70才)はまだまだ鼻たれ小僧とされているが、最近それがよくわかるようになった。確かにある年齢にならないと、モノの本質は見えないものである。
しかし、モノの本質が見えた時はそれを探究する時間や体力が無くなってくるので、体力そして時間との戦いになる。

今、自分は76才であるが、合気道の本質を探究するためには時間がいくらあっても足りないと痛感している。完全に目標に達成できなくとも、一歩でも近づきたいと思っている。そのためには少しでも健康で長生きしなければならないことになる。100才まで長生きできれば、目標を大分会得できるのではないかと思うからである。

100才以上の超高齢者の生きざまや考え方には興味をもっているので、その方たちが書いた本やテレビ放送などをよく見ていた。だがこの方たちは自分とは直接関係のない遠い存在であった。
しかし、自分の近くにも100才以上の超高齢者が存在していることを見逃していた。灯台下暗しである。

この6月にフィンランドにいる昔の仕事仲間に会いに行った。ドイツの会社で一緒に定年になるお別れ会をし、一緒に退社した仲である。10年ぶりの再会であった。
この彼女の前任者が同国にまだ健在で、今年で103才になるオットー婦人である。彼女とも数年間一緒に仕事をして、いろいろ教えて貰った。だから、彼女も仕事仲間だったということになる。
若い方の彼女と一緒に、老人ホームにいる103才のオットー婦人を尋ねた。

丁度、昼食の直前だったので、挨拶の後、別室で昼食をとったが、103才のオットー婦人には驚かされ、魅せられるばかりであった。
ます、歩行補助器具を使うが、椅子に腰かけたり、立ち上がったり、そして歩行は、誰の助けも借りず、一人でやることである。
次に、オシャレに気を使っていることである。我々が彼女のいる部屋に入っていったときはオシャレな帽子をかぶっていた。小ぶりなわら帽子で、淡い青やピンク色の布リボンがあしらってあり、彼女と季節にぴったり合っていた。
残念ながら、我々が来たので、被っているのは失礼だと思ったのか、その帽子を脱いでしまったので、写真には写っていない。
また、言葉ははっきりとしているし、頭もしっかりしていて、昔の記憶もしっかりしており、私と前に会ったことも覚えていたのである。

一緒に行った友達は74才ぐらいだが、彼女と103才のオットー婦人と比べながら話を聞き、見ていると、103才まで元気で生きられる秘訣が見えてきたようである。
まず、不平を言わないことである。オットー婦人は他人の事や昔の事に不平やぶつぶつを言わないのである。すべていい面を見、いい方向にポジティブに考えているのである。だから、顔は自然と笑顔になるし、相手を笑顔にするのである。
次に、人の話をよく聞くことである。特に老人がする、人の話を途中でさえぎることをしないのである。
また、どんな質問にもしっかりと答えることである。それも一所懸命に答えようとするのである。
それから食事をしっかりと取ることである。一日3度の食事を取り、残さずしっかり食べるとのことである。我々と取った昼食のスープもハンバーグもきれいに食べてしまった。スープは我々とほぼ同量で、結構なボリュームがあったが残さずに食べたのには驚いた。

オットー婦人の印象をまとめると、彼女は死にこだわらずに生きていて、いつお迎えが来てもいいと思っているが、常に一所懸命に生きようとしている。
これが103才の秘訣であり、このように生きることが長生きの秘訣ではないかと思った。